| 2003年02月26日(水) |
誕生日,めでたしくもなし |
今日,ふと気付いたら,**回目の誕生日。もうこの歳になると誕生日だからといって,何があるわけでもなく,また嬉しくもない。かつて,数え年で年齢を計算していたときは,皆正月になったら歳をとった。そのころのうたで,こういうのがあった。
「正月や,冥土の旅の,一里塚。めでたくもあり,めでたくもなし」(だったと思う)。最近なら誕生日がそれにあたる。「誕生日,冥土の旅の,一里塚。めでたくもあり,めでたくもなし」。むしろ,めでたくない。まさに,冥土の旅の一里塚,というのを実感し始めた,今日この頃である。
そういうと,昔は,誕生日といえば,赤飯を炊き,尾頭付きの魚(我が家は貧乏だったので鯛とはいかなかったが),それと紅白のなます(大根とにんじんを千切りにして酢にしたもの)と,相場が決まっていた。家族の誰の誕生日でもそうであった。そういうと母親の誕生日には遠慮してそうしなかったような気もする。
こういう昔風の誕生日の祝い方も,なかなか味があった。「狭いながらも楽しい我が家」という歌がかつてあったが,まさに,それを実感できる日であった。こういう古い話をし出すと,歳をとった証拠。そういえば,先日も大学院生に古い話をしていた。バブル以前どころではなく,日本列島改造ブームから第1次オイルショック以後の話をした。
我々世代にとっては,まさに「オンリー・イエスタディ」(つい昨日のこと)なのである。私の若い頃,年寄りが古い話をしているのを聞いて,何と古いことを言う,と思ったものだが,今私がそうなっている。ローマの時代からそうだったという。これは変わらない。
ただ,歳をとったからと言って,それだけで悲しむべきことでもない。それだけ知識は豊富になっているはずだからだ。間違いなく,若い頃より知識は豊富だ。この知識は伝えていかなければならないのだろう。ところがこれが難しい。自分自身振り返ってもそうだが,獲得しようと言う意識なくして,知識は吸収できないのである。
我々業界用語で言えば,これを問題意識という。私など,若いとき問題意識が薄かったように思う。そういえば,先生や先輩から「問題意識」の重要性を指摘されていたものだ。今ならいっぱい問題意識があるのに。意識の高い人はだから若いときからの吸収力が違う。我々凡人は気付くのが遅い。
で,若い人に言う言葉。問題意識を持て。そして吸収力を高めよ。私が若いとき十分できなかったことだが。今だからいえることだが。
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