ようやく春がやってきたのかと思わせる。これまでの寒さからすると,これでも暖かく感じる。不思議なもので同じ気温でも秋には寒く感じたものが,春には暖かく感じるもののようだ。人間の感じ方というのはそういうものだ。
調べてみると,あの寒いと思った昨年11月の京都の最高気温は12度から20度の間であったし,最低気温は2度から10度の間でした。それを今日の予想最高気温12度,予想最低気温2度(なお今週の予想最高気温7度から12度,予想最低気温マイナス2度から2度)と比べると,今の方が遙かに寒い。にもかかわらず寒さを通り越して暖かい方へ向かっているので,暖かく感じてしまう。人間とはいい加減なものだ。少なくとも今日は暖かい。
それにしても,こういう11月の気温などもインターネットを使うとすぐに見られる。便利なものだ。当然これを研究に活用すれば,強い武器になる。問題はその情報の調べ方だ。それでもgoogleなどで検索すれば容易に見つけることができる。こう言うことを知っているのと知らないのでは,まさに,デジタル・デバイド,情報格差が発生して,情報を活用している人がそうでない人より遙かに優位になる。
というか,情報劣位にある人は落ち込んでいくにすぎない。情報活用をして上を狙うのは容易ではない。ある意味ではこれが常識の線になる。だから,これを活用できない人が情報弱者,したがって,社会的弱者に落ち込む可能性を孕んでいる。少なくとも若い人たちがこれを知っているのと知らないのでは,ものすごい差になる。
かつてでも,日経を読む人と読まない人の格差はあった。その意味では同じ事ではある。で,落ちこぼれないため,だけではなく,差を付けるために情報を活用するには,これは少し「年季がいる」。常に社会に目を向け能動的に生きているかどうかも関係がある。社会常識欠如が将来の弱者への道であることに気付かない若い人もいる。これらの人に気付いてもらうのがわれわれの役目だ。ただ,よく言うように,「馬を水飲み場に連れて行くことはできる,でも水を飲むか飲まないかは,馬次第である。」
|