singersong professor KMの日記

2003年02月07日(金) 躁鬱

 研究者というのは誰しも「躁」と「鬱」が交替でやってくるようだ。私など軽症でさほどでもないが,そういう症状は周りの人たちによく見られる症状である。概して研究者は「打たれ弱い」ように思う。他人事ではないが。

 だから,人によっては「親衛隊」で周りを固めることになるのかもしれない。耳に心地よい言葉を聞く方が気持ちがよいのに決まっている。だから,まったく別の方面から矢が飛んできたら,どう受け止めたらよいのかわからなくなる。で,うろたえたりする。

 よく躁状態のときに論文を書くと聞く。そうだろう。論文を書いているときは誰しも躁状態なのだろう。そうでないと書けない。これで正しいと思いこんで書くわけだ。疑問を持ち出したらきりがない。もちろんちょっとした疑問は次々出てくる。そこで,あわててパッチワークよろしく,本を読み直し,隊列を整え直して,再び進軍するわけだ。

 論文を書くのが好きだと公言するYさんの気持ちはその限りで分かる。また,読むのが好きだというOさんの気持ちもよくわかる。誰しも,書き始めるまで相当苦労する。書き始めたら,先ほどの話でわかるように,いわば躁状態になって書くわけだ。そこへ行くまでが大変だ。だから,論文を書くというオブリゲーションなしに,読むのが一番楽しいわけだ。

 さきのOさんの場合,論文を書くということを抜きに読むのが好きだと言うことだろう。ただ,読んでいて,これは利用できる,などというフレーズに出会うと嬉しくなってしまう。一時的に躁状態になるからだろう。

 何であれ,書くということは,どんな文章であれ,躁状態というか,高ぶっていないと書けない。それはまた快感でもある。書くのが好きだというYさんの場合,その高揚がたまらないのだろう。

 逆に,そういうことがないときは通常鬱状態に近いのかもしれない。だいたい研究者は無愛想だというのが通り相場である。無愛想というか,世間知らずというか,鬱状態というか,あまり世間に出せない人が多いようだ(とくに昔の研究者にそういうタイプが多かったように思う)。最近では,それでは通らなくなりつつある。その代わり,昔のような大物は減ったように思う。私を含めて。


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