Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2009年01月07日(水) 「 冷たい 」 が口癖の人々



「 私の人生を変えられるのは、私だけです。

  誰も、私のために、そんなことはしてくれません 」

                     キャロル・バーネット ( アメリカの女優 )

Only I can change my life. No one can do it for me.

                                   Carol Burnett



関西人の多くが、「 大阪の人は情に厚く、東京の人は冷たい 」 と言う。

大阪にも東京にも住んだ私は、それを 「 根拠の無い先入観 」 だと思う。


おそらくは、歯切れの良い標準語のイントネーションが、粘っこい大阪弁に比べると、どことなく クール な印象が強いせいではないだろうか。

実際は、大阪にも東京にも冷淡な人がいて、それぞれ、人情に厚い人々がいるわけだけれど、思い込みの激しい人は、素直に聴く耳を持たない。

そうやって、地理的な環境の違いで 「 冷たさ 」 を感じる人もいれば、もっと大きな分類で、たとえば 「 最近の若者は冷たい 」 などと言う人もいる。

あるいは、自分への処遇に不満を感じながら、「 うちの会社は冷たい 」 と言い放つサラリーマンや、「 うちの家族は冷たい 」 と愚痴る父親もいる。

失業者が 「 派遣村 」 に集結する姿をテレビで観て、効果的な雇用対策を打ち出せない政府に対し、「 国は冷たい 」 と悲観論を語る御仁もいる。


心理学的にいうと、自分が属している企業や国家を 「 冷たい 」 と評価する人は、口先で非難しながらも、心では依存している率が高い。

自分の勤める会社や、自分の国の政府、自分の家族は、その義務として、困ったときには 「 面倒を見てくれる 」 という前提で、甘えているのだ。

組織に依存するのではなく、貢献することによって、地位や報酬を得ようと努力する人間は、概ね、自分が所属する組織を 「 冷たい 」 とは評さない。

ある意味、自分の会社や国家を 「 冷たい 」 と感じる人ほど、所属意識は強く、親の悪口をぶちまける子供のように、どっぷりと依存している。

ただし、子供なら可愛げもあるが、オジサンの場合は、「 みっともない 」 と周囲に思われていることを、自分から気付いて欲しいものだ。


そもそも、会社や、国家、家族という組織は、形の無い 「 集合体 」 であり、また、その組織に属する個人は、全体を構成する一部でもある。

つまり、自分の会社に問題があると感じているのならば、自分にも責任の一端があるわけで、たかが一従業員といえども、けして他人事ではない。

関係の無い第三者からみれば、「 うちの会社は冷たいよ 」 と愚痴っているオジサンは、「 自分の恥を言いふらしている 」 ようにしか見えないものだ。

時節柄、あちこちの新年会に顔を出しているが、今年は、自分の会社や、家族、あるいは政府に対し、「 冷たい 」 と語る御仁を多くみかける。

自分の人生を自分で切り拓く気概を持たず、周囲に依存するばかりでは、貢献度の低い 「 お荷物 」 となり、冷たい視線を浴びるのも必定である。






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