2008年05月22日(木) |
乱発する 「 過労死 認定 」 と、その弊害 |
「 仕事とキャリアの違いは、週に40時間働くか、60時間働くかの
違いである 」
ロバート・フロスト ( アメリカの詩人 )
The difference between a job and a career is the difference between 40 and 60 hours a week.
Robert Frost
概ね、仕事というものは、短時間で優れた結果を出すことが理想である。
闇雲に長く働けばよいという考え方は、間違っているように思う。
ただ、現実問題として、「 短時間で優れた結果を出せる人 」 の大部分は、初期の社会人生活で、長時間労働に耐えた経験を持つ人が占めている。
プロ野球の試合で、終盤の短いイニングを力投する 「 抑えの切り札 」 が、観客の目に触れないところでは、長い練習を積んでいるのと同じだ。
どれだけ資質に恵まれていても、「 最初から一流 」 なんて人は滅多にいないわけで、特に若い時期は、半人前の仕事しかできないものである。
仕事の成果を計ると、「 能力 × 情熱 」 という数学的な計算式が成り立ち、「 能力 」 は 「 技術 」 に、「 情熱 」 は 「 時間 」 に、置き換えが可能だ。
つまり、技術や能力の水準が低かったり、未熟である場合、短い労働時間で人並み以上の成果を挙げることは困難だし、実力も蓄積され難い。
経験の乏しい若手社員には、「 いま何をすべきか 」 という判断力に欠けているため、上司や、先輩社員の判断を仰ぐ場面が多い。
その段階を脱し、適切な判断力を持つ 「 仕事をコントロールできる人間 」 になるまでには、どうしても 「 場数 」 を経験する必要がある。
もちろん、理解力の高い人物なら、少ない機会から多くを学ぶし、低い人は習熟し難いが、同じ資質なら労働時間の多いほうが、経験値は増大する。
生産性を落とさず、短時間で合理的に成果を得る術は、経験の豊富な人にこそ身に付く技で、未熟者が真似をしても、たいてい失敗するものだ。
たまに、若手社員で 「 職場の効率が悪いから、無駄な時間が多い 」 などと愚痴を吐く人もいるが、本当の無駄は、そこから学ばない無能さにある。
年間に計10回、183日間の海外出張をした後で、くも膜下出血で死亡した社員の妻が、松本労働基準監督署長を相手取り、労災を求めて訴訟した。
その控訴審で、東京高裁は22日、請求を棄却した1審の長野地裁判決を取り消し、男性の労災を認める判決を言い渡した。
裁判長は、「 残業や休日出勤は少なかったけれど、多数回の海外出張で疲労が蓄積し、病気を発症した 」 と述べている。
体力や、ストレスを処理する能力に個人差はあるだろうが、かなり多くの人が、年間200日を越える規模の出張機会を経験している。
この程度で 「 過労死 」 が認められるのなら、雇用する企業側は、おちおち出張にも行かせられないわけで、ずいぶん偏った判決のように思う。
ちなみに私の場合、年間に250日の出張をしたこともあるが、それにより体調を崩したとか、過酷だと感じたことは一度もなかった。
毎日、4時間前後しか睡眠が取れない中、会社に泊まりこんで徹夜したり、40日間、休みなしで働いたことも、若い頃には経験した。
最近は、さほど長時間に亘って働くこともないが、いざとなれば対応できるだろうし、その経験があるからこそ、作業を短縮する術が身に付いている。
なんだか、世間では 「 長時間勤務や過酷な作業の マイナス面 」 ばかりが取り上げられているようで、そういった経験がもたらす利点を語らない。
余暇を利用し、仕事以外の人生を楽しむのは良いことだが、一度も苦しい経験をせず、「 楽に儲けよう、出世しよう 」 としても、上手くはいかない。
企業の利益を優先するあまり、従業員の健康を害する過重労働を強いる職場もあるので、「 過労死 」 を認定する制度そのものには反対しない。
しかし、たとえそのような職場でも、従業員には 「 転職する 」 という自由な選択肢があるわけで、死に至るまで働いた事情については理解し難い。
ましてや、今回の認定理由のように 「 別に珍しくも、過酷な内容でもない 」 と思われる事例にまで司法が介入するのは、いかがなものか。
今後も、過労死を認定するハードルが低下し続けると、企業側は、体力の無さそうな者、神経の細そうな者に対する雇用を、見直す必要が生じる。
企業側に 「 従業員に対する責任 」 があるのは間違いないが、司法による行き過ぎた擁護は、将来的な雇用の減退、消極化の危険を伴うだろう。
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