Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2008年05月21日(水) 一枚の写真から、中国で日本人賞賛の嵐



「 われわれは、人が自分のために行動してくれる以上に、

  自分と一緒に感じてもらいたいのだ 」

                     ジョージ・エリオット ( イギリスの作家 )

We want people to feel with us more than to act for us.

                                   George Eliot



自己愛の強い人は、自分のために周囲が行動することを求める。

あるいは、自分の不幸や苦労に対し、憐憫の涙や、同情を期待する。


しかしながら、そんな人に精一杯の奉仕をしたり、親身になって励ましたり、一緒に涙を流しても、あまり感謝されないか、すぐに忘れ去られる。

自分中心のスタンスでは、「 他人が自分のために、力を尽くすのは当然 」 という甘えた考えが根底にあり、協力的でない相手は 「 嫌な奴 」 なのだ。

世界には様々な人がいて、それぞれが個性的に、自分の意思に基づいて、幸せを追求しながら生きているという現実を、まるで理解しようとしない。

子供の頃から、過保護に育てられたり、世間知らず的な 「 偏った教育 」 を施された人物に、そういう タイプ が多いのは周知の事実だ。

そんな タイプ でも、唯一、本気で感謝する機会が生じるとすれば、それは、言葉や行動ではなく、他人の 「 真心 」 が伝わる瞬間にあるだろう。


中国大地震の救援活動を展開した日本緊急援助隊が、母子二人の遺体を発見し、黙祷を捧げる写真が、現地の新聞で大きく取り上げられた。

政治的な思惑、現場での軋轢もあって、彼らは、期待されていた生存者の救出を為し得なかったが、この写真に、多くの中国人が感動したという。

どの隊員にも、目立った憐れみの表情や、涙はないが、母子の生命を救えなかった 「 悔しさ 」 や、真摯な追悼の念が滲み出ているようだ。

いかなる英雄的な行動や、奇跡的な成果や、慈しみの言葉よりも、外国人が同じ思いを 「 感じてくれた 」 ことこそが、その真心を雄弁に伝えている。

無念な面持ちで帰国した彼らを、賞賛の声を上げて成田で出迎えたのは、普段なら反日的発言をすることの多い、中国人留学生たちであった。


中国の 「 ブログ事情 」 も、この写真に関する好意的なコメントが殺到したことによって、その様子が激変しているという。

もともと中国のブログ界は、日本、あるいは日本人に対し、批判的な意見が日常的に多く溢れ、いわば 「 反日の温床 」 と呼ばれる性質を持っていた。

今回の救援活動に対しても、当初は、「 政治的パフォーマンスに過ぎない 」 と嘲笑したり、さほど好意的な書き込みは少なかったらしい。

ところが、中国側の当局者が遺体を乱暴に扱うのに対し、母子の遺体に深々と黙祷する日本援助隊を見てから、彼らの態度は一変する。

今回の大地震で亡くなった多くの方々の中で、「 この母子ほど敬意を払われた者はいない 」 という事実を、誰もが認めざるを得なかったのである。


それは、日本人の持つ 「 死者に対する畏敬の念 」 や、職業的倫理観から派生する厳格さ、真面目さにも、大きく影響されているだろう。

私も仕事で、毎日のように中国と交信しているが、「 尊敬 」 や 「 感謝 」 というよりも、「 共感 」 や 「 親しみ 」 が深まったという声が多いようだ。

少し不安に思うのは、中国政府が、過去に偏った “ 反日教育 ” を施して、公正で客観的な情報を人民に与えていなかった事実が露呈する問題だ。

過去に中国政府は、「 内政への不満を “ 反日 ” に向けさせて誤魔化す 」 という常套手段を用いてきたが、このままでは「 嘘 」 がばれてしまう。

内政、外交の両面からみて、対日感情は 「 良すぎても、悪すぎても困る 」 のが中国政府の本音で、今後、何らかの工作が企てられる危険を感じる。






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