Tonight 今夜の気分
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2008年04月04日(金) 映画 『 靖国 』 と、表現の自由



「 何も読まない者は、新聞しか読まない者よりも教養が上だ 」

           トーマス・ジェファーソン ( アメリカ合衆国第3代大統領 )

The man who reads nothing at all is better educated
than the man who reads nothing but newspapers.

                               Thomas Jefferson



彼が ジャーナリズム を嫌ったのには、理由がある。

若い奴隷との間に “ 隠し子 ” がいたことを、すっぱ抜かれたからだ。


ただ、そのような私怨がなくとも、「 ジャーナリズム は常に正しいのだ 」 と妄信することには疑問があり、事実、彼らが間違いを犯した例もある。

あるいは、「 嘘 」 や 「 間違い 」 ではないけれど、公平さ、公正さに欠ける報道姿勢に、その中立性が問われる場面も多いように思う。

たとえ事実だけを列挙したとしても、伝える側の主張に反する部分を削除したり、縮小することで、世論を操作し、誘導することは可能だ。

ひとつの新聞に書いてあることが、あたかも 「 この世のすべて 」 だなどと思い込むのは、そういう意味において、とても危険なことのように思う。

下手をすると、冒頭の言葉が示す通り、「 読まないほうが マシ 」 ということも、十分に考えられるのではないだろうか。


現在、映画 『 靖国 』 の上映中止問題に絡んで、それは 「 表現の自由 」 に抵触するのではないかという議論が、新聞誌上を賑わせている。

試写会を観た与党の議員は、「 靖国神社が “ 国民を侵略戦争に駆り立てる装置だった ” というイデオロギー的メッセージを感じた 」 という。

映画監督の 羽仁 進 氏 は、「 慎重に作られており、靖国神社への批判を強硬に打ち出している映画ではない 」 と論評している。

この映画は、文化庁管轄の独立行政法人 「 日本芸術文化振興会 」 が、製作に750万円を助成しており、一部には、それを問題視する声もある。

日本映画監督協会の 崔 洋一 理事長は、「 映画の表現の自由が失われ、作り手が自己規制する空気が生まれないか心配だ 」 と話している。


過去、いくつか “ 問題作 ” と呼ばれる映画があって、規制を受けることはあったが、映画館での公開が中止に追い込まれたのは異例のことだ。

映画館側としては、右翼団体の街宣活動が行われたり、抗議電話が殺到するなどの影響を恐れ、「 営業上の判断 」 で中止を決めたらしい。

誰かが直接的に圧力をかけたわけではないけれど、前述の与党議員らが 「 反日映画 」 というレッテルを貼り、右翼を刺激したことは間違いない。

こうなると黙ってないのが “ 左翼系 ” の人々と、それに追随する新聞などの ジャーナリズム で、彼らは 「 表現の自由 」 を盾に声を荒げる。

日本国憲法 ( 私は信奉者じゃないけど ) 第二十一条にも、表現の自由は謳われており、検閲をしてはならないことが、たしかに明記されている。


では、この映画を公開すべきか否かというと、私は 「 公開すべきでない 」 という意見だ。

それでは、憲法によって保障された 「 表現の自由 」 に抵触するじゃないかという声も聞こえてきそうだが、まず、「 表現の自由 」 自体に矛盾がある。

たとえば、戦後の日本映画界で数多くの 「 戦争映画 」 が製作されてきたけれど、その大部分は湿っぽい 「 反戦映画 」 に属している。

作品のどこかに、「 戦争は虚しいね 」、「 人が死ぬと悲しいね 」、「 平和が一番だね 」 という要素が入っていない映画は、ほぼ皆無に等しい。

ごく一部、娯楽的な作品 ( 岡本 喜八 監督 の 『 独立愚連隊 1960 東宝 』 など ) もあるが、大部分は “ 日本の汚点 ” として戦争が描かれている。


表現の自由があったところで、「 日本は仕方なく戦争に巻き込まれただけで、鬼畜米英を相手によく戦った 」 といった映画は、作れないのである。

仮に、日本の将兵を英雄視して、南京大虐殺など無かったし、慰安婦なぞ存在しなかったという映画を作ったら、はたしてどうなるのか。

たちまち周辺諸国からは ボコボコ に叩かれ、深刻な国際問題に発展することが明白で、国内世論、とりわけ新聞各社は大騒ぎを始めるだろう。

反日映画の上映中止を 「 表現の自由 」 に抵触する大問題だと主張する ジャーナリズム が、好戦映画には 「 表現の自由 」 を認めないのである。

この場合、表現の自由よりも、太平洋戦争は 「 間違いなく日本が悪い 」 という “ 根拠の無い決め付け ” が優先され、上映は見送られることになる。


どんな映画でも 「 つくることは可能 」 だし、上映することも自由なのだが、では、なんでも 「 現実的に上映できるか 」 という点では、疑問符がつく。

たとえ合法的な作品でも、上映する時代や、場所における 「 国民感情 」 を無視し、思うがままにフィルムを回すべきではない。

憲法で保障された自由や権利を尊重する姿勢も大事だが、環境に配慮し、周りに不快感を与えず、無用な憎悪を生み出さないことも大切である。

すべて ジャーナリズム を疑えとは言わないが、彼らが 「 表現の自由 」 を持ち出したときは、そこに “ 誘導 ” や “ 偏重 ” が潜むことも多い。

表現の自由を侵すというが、「 大暴動が起きていることを国民に知らせない五輪開催国 」 よりは、ずいぶん マシ という事実も、広く伝えるべきだろう。






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