Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2006年08月05日(土) 靖国参拝は宗教行事か



「 これが私の分かりやすい宗教です。 寺など必要ではありません。

  難しい哲学も必要ではありません。 私達自身の頭と心が私達の

  寺なのです。 そして、その哲学とは優しさです 」

              ダライ・ラマ 14世 ( チベット仏教の最高指導者 )

This is my simple religion. There is no need for temples;
no need for complicated philosophy. Our own brain,
our own heart is our temple; the philosophy is kindness.

                           The 14th Dalai Lama



近頃は、若い人による新しい文化潮流を 「 サブ・カルチャー 」 と呼ぶ。

書店に行くと、その類のコーナーが設置されていて、なかなか興味深い。


たとえば、携帯やパソコンの、ユニークな 「 誤変換 」 ばかりを集めた本が出版されていて、思わず吹き出してしまいそうな内容もあった。

一例を挙げると、会社で、「 取引先に行ってきます! 」 と打ったつもりが、「 鳥、引き裂きに行ってきます! 」 と誤変換した失敗などである。

プロポーズの言葉で、ロマンチックに 「 君と結婚したい 」 と打ったつもりが、「 君と血痕死体 」 などという恐ろしげな文になったりもする。

大部分は、面白く創作された 「 フィクション 」 なのだろうが、誤変換ばかりを集めて本にしたという発想が面白く、感心してしまった。

お堅い諸氏の中には、「 若者の低俗な暇つぶし 」 などと、一段下に見下す方も多いようだが、私は個人的に、けっこう好きかもしれない。


よく売れている本では、柳田 理科雄 さん の 『 空想科学読本 』 シリーズが面白く、コーナーの 「 売れ筋商品 」 的存在になっている。

空想科学とは、怪獣やヒーローの出てくるような特撮番組、SF、アニメなどのことを指し、この本は、それが 「 現実的にあり得るか 」 を検証している。

たとえば、映画に登場する 「 ゴジラ 」 は身長50m、体重2万t という設定なのだが、「 ガメラ 」 は身長60m、体重80t という設定になっている。

身長はガメラのほうが2割ぐらい上回るのに、体重はゴジラの250分の一しかないというのは、いくら 「 空想上の設定 」 だとしても不自然である。

そんな矛盾点を科学的に検証し、どちらが適切かなどの解説がなされる。


ゴジラの場合、「 密度 ( 物質1c�� あたりの重さ ) 」 が人間の40倍以上もあり、あらゆる地球上の生物、その他の物質より極めて重いことになる。

実在するシロナガスクジラは、体重170tだが、密度は人間と変わらない。

だから、クジラを陸に上げると、自重で骨が折れ、内臓が潰れて死んでしまうが、水中では水と同じ密度のため、浮力を得て悠々と泳いでいられる。

ところが、ゴジラの場合、密度が40倍以上もあるので、陸上ではもちろん、たとえ水中にいても沈んでしまい、床に叩きつけられて死んでしまう。

仮にゴジラが水中で生まれたとしても、生まれた瞬間に即死する。


逆にガメラの体は、一辺10�� の立方体にすると、8gの重さしかない物質で出来ていることになり、発砲スチロールより軽く、海にも潜れない。

空気の入った風船人形みたいなもので、強い風が吹けば飛ばされ、とてもじゃないが、怪獣と戦ったり、都市を破壊するどころではない。

つまり、この設定では 「 ガメラは軽すぎる、ゴジラは重すぎる 」 というのが正解で、どちらも物理的にあり得ない設定ということがわかる。

他にも、子供の頃、何気なく観ていた空想科学番組の 「 あり得ない設定 」 などが、細かい事例を挙げて分析されていて、興味をそそられる。

小さい子供などに読ませると、「 夢の無い話 」 になってしまう可能性もあるが、科学の勉強にもなるので、大人が読むには楽しめる。


私にとって神仏は、この 「 空想科学 」 に近い存在だ。

たとえば、「 神は存在する 」 と仮定した場合、罪のない人物が、事故や、病気や、戦争や、犯罪の犠牲になって死ぬのを、なぜ神は助けないのか。

時効が切れて捕まらない悪党を、どうして見逃してしまうのか。

地球上の森羅万象を司るのが神だとしたら、ずいぶんと神は、我ら人間に対して無関心で、無力で、責任感のない存在だということになる。

そんな神なら要らないわけで、もし、いたとしても、神官や、牧師や、僧侶の語るイメージとは、ずいぶん違う存在であることは間違いない。


それでも神社に詣でたり、寺や墓参りに行くのは、神仏への信仰からではなく、死者を弔ったり、亡き家族を思い出すための行為にすぎない。

安倍さんの、靖国神社への参拝が明るみになり、各方面で論議されているが、それはけして 「 宗教的な行為 」 でもない。

日本の礎となった戦没者に謝意を表し、安らかな眠りを祈るだけだ。

それを、同じ日本人でありながら、中韓と一緒になって批難する 「 バチ当たり 」 な連中がいることは、まことに遺憾である。

彼らには、A級戦犯の霊が動き出し、地下に埋めた改造人間が軍国主義をリードするなどと、「 空想科学 」 的な被害妄想があるのかもしれない。






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