「 売れないものは発明したくない。
売れることが実用性の証明であり、実用性が成功を意味する 」
トーマス.A.エジソン ( アメリカの発明王 )
Anything that won't sell, I don't want to invent. Its sale is proof of utility and utility is success.
THOMAS.A.EDISON
エジソンは偉大な発明王であると同時に、物理学者で、企業家だった。
鉄道の新聞売子から身を起こし、1,000 以上の特許を獲った人物である。
あまり露骨に私利私欲を主張するのも下品だが、「 無報酬で、世のため、人のために尽くします 」 などと自己宣伝する人よりは信用できる。
事実、「 自分は儲けないで社会の役に立つ 」 ほうが、「 儲けながら、社会の役にも立つ 」 よりは、特別な能力も要らず簡単である。
それに、まったく儲けが要らないという人は、何か別の収入源か、生活維持に必要な貯蓄があるわけで、無報酬の仕事を本業とは呼べない。
もちろん仕事の目的は 「 お金を稼ぐこと 」 だけではないが、適正な報酬を得ることで、また、情熱と責任感が湧いてくるものだ。
エジソンが産み出した発明品の大半は、実は 「 お金になる発明 」 であり、その経緯は、彼の創造性よりも、ビジネスマインドに依る所が大きい。
アダムスミスが提唱した、「 神の “ 見えざる手 ” 」 という理論がある。
これは、個人のお金儲けなどに代表される 「 利己的本能 」 が、結果的には 「 社会の発展や、公共の福祉 」 に役立つという説だ。
なぜかというと、たとえば、仮に、ある人物が新しく開発した自動車を販売することによってお金を儲けたいと考えたとしよう。
先達に負けないように儲けたいのならば、性能や安全性が高く、デザインに優れ、快適で、なおかつ価格に見合う価値の商品を開発する必要がある。
販売の方法も工夫しなければならないし、アフターメンテナンスにおいても消費者の満足を得られるサービスにつとめなければならない。
このように、お金を儲けたいという利己的本能が、資本主義社会の競争の中では、質の良い商品やサービスを発生させる源になる。
良質の商品やサービスが、粗悪なものを淘汰していけば、結果的に世の中は良くなり、社会の発展や公共の福祉にもつながるという構図だ。
これが 「 神の “ 見えざる手 ” 」 なのだが、何が良質で、何が粗悪なのかを判断するのは、消費者の手に委ねられているのが実態である。
つまり、評論家や指導者ではなく、大衆が求めるもの、欲しがっているものが 「 良質 」 で、それは同時に 「 売れる商品 」 なのだ。
生産者側は、その点をよく考えたうえで、自らのエゴを押し付けることなく 「 消費者が価値を感じ、満足するもの 」 を提供することが使命となる。
生産者側は、正義の法を侵さない限りは、自由に自分の考えたやりかたで、利益を追求しながら、大衆の支持を集めるための競争に参加できる。
それを 「 大衆への迎合だ 」 と批判する人もいるが、社会の大部分を構成し、支えているのは、一部の学者や評論家ではなく 「 大衆 」 である。
昨年の総選挙で自民党が圧勝したとき、野党議員や、支持者の一部から 「 国民はバカだ 」 と批判する声も挙がったが、それは間違った考えだ。
世界から孤立した独裁国家でもないかぎり、選挙を経て、広く大衆の望んだ政党が、他の何よりも責任政党としての地位に相応しい。
彼らは他の政党よりも、国民の望んだものを提供したか、あるいは、今後、提供するであろうという期待感を、大衆から得る競争に勝ったのである。
日本のマスコミについて、「 彼らは視聴率や発行部数ばかりを気にしていて、報道すべき内容の軽重を理解していない 」 などと言う人もいる。
日本のマスコミの 「 質が悪い 」 という点については同感だが、この 「 報道すべき内容の軽重 」 という点は、ピントがずれていると思う。
視聴率や発行部数が、大衆の支持を数値化したものと考えるなら、視聴者が望むもの、興味を示すものに優先順位を高く位置付けることは正しい。
大衆がさほど興味のないものを、「 これを見なさいよ、これが大事ですよ 」 などと誘導したり、洗脳するほうが、報道の姿勢からも外れている。
個人も、報道機関も、世間から孤立し、「 自分は正しいが、大衆は間違っているから何とかしなければ 」 などと妄想し始めたら、かなり危険である。
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