| 2005年12月10日(土) |
異常者を野放しにした結果 |
「 すべての人を良く言う人間を信頼してはいけない 」
ジョン・C・コリンズ ( イギリスの文学者 )
Never trust a man who speaks well of everyone.
JOHN C.COLLINS
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。
日本国憲法第三章第十一条には、そのように記載されている。
あちこちで子供たちが標的にされ、異常な犯罪の餌食になっている。
犯行は性的に陵辱する目的で計画的に行われ、挙句の果てには、犯行が露呈することを恐れ、殺害に至ってしまう。
あるいは、殺害そのものを快楽として、非道な殺戮を行う者もいる。
犯人とて人間であるかぎり、「 基本的人権 」 を擁護され、それに背くような言動に対しては、各方面の人権擁護団体から抗議が飛来する。
精神鑑定の結果、その精神に異常が見受けられれば、「 懲罰 」 ではなく 「 治療 」 の対象となり、法的に制裁を下すこともままならない。
精神鑑定では 「 責任能力の有無 」 に関する査定や、加害者の知能、精神の疾患などについて逡巡され、その結果を基に司法の裁定が下る。
もし、この犯人に 「 責任能力が無い 」 と判断された場合、では、この犯行が行われた背景にはどのような問題点があり、誰に 「 責任 」 があるのか。
知能、精神に疾患のある犯人を 「 弱者 」 と認め、彼らの罪状は、被害者の家族を中心とした社会全体が、許容していくことが正しいのだろうか。
被害者の人権を非情に蹂躙した者に対し、加害者の人権を認めるのか。
貧富の差や、性別、生い立ちの違いなどから、人は 「 差別 」 を受けるべきではないと思うが、凶悪な犯人をそこまで寛大に庇う必要があるのか。
異常者による犯行を未然に防ぐ術は少なく、しかも効率的でない。
彼らを捕らえることも、制裁を与えることも、あるいは、過去の犯暦を辿って事前に拘留することも、どこかへ隔離することも叶わない。
一様に 「 基本的人権 」 が保障され、日頃から、差別的な扱いをすることも、偏見に満ちた視線を投げかけることも許されない。
つまり、再犯率の高い彼らを監視することもできず、管理の行き届かない 「 野放し 」 に晒しつつ、手口が繰り返されるのを、ただ眺めるしかない。
手を差し伸べ、広い心で免罪符を与えた途端に、彼らが我が子と接触しないよう、良識有る人々は怯えながら暮らしていくのである。
狂犬病に感染した野犬が、市街地を闊歩していたら危険なので、住民の一部は当局に対し、捕獲、隔離、処分などの要請を促すだろう。
海外旅行から重体で帰国し、それが伝染性の高い病気によるものであったなら、当局は身柄の確保、隔離、治療などの処置を施すはずである。
巷を異常者がうろつき、幼児に触手を伸ばしている状態も、これに近い。
それを、まるで 「 ヒットラーのユダヤ人差別 」 と同列に語る人物、あるいは組織、団体がいて、差別だ、偏見だ、粛清だと騒ぎ立てる。
底の浅い博愛主義、理想主義の招いた魔手は、いま、全国の児童に忍び寄り、また新たなる悲劇を産み出そうとしているようだ。
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