「 あいつをこてんぱんに殴ってやる。
帽子をかぶるのに靴べらがいるようになるさ 」
モハメド・アリ ( プロボクサー )
I'll beat him so bad he'll need a shoehorn to put his hat on.
MUHAMMAD ALI
子供の頃には熱中した何かが、急につまらなく思えてしまったりする。
その 「 冷めた原因 」 は、自分にあるのか、あるいは違うのか。
阪神タイガースの優勝で、大阪の街は賑わっている。
テレビで優勝決定戦を観たが、周囲の 「 阪神も強くなったなぁ 」 という歓喜の声よりも、私自身は 「 巨人が弱くなったなぁ 」 という実感を強めた。
別に、巨人だけを特別扱いしようというわけではないのだが、どうしても昔の 「 常勝軍団 」 という印象が強いので、なんとも物足りなさを感じてしまう。
この日の試合も、投手がどうとか、打線がどうとか、采配がどうとかいう以前に、「 やる気あるの? 」 的な弱々しさが滲み出ていたように思う。
たしかに、敵地で、しかも相手の優勝が決まりそうな試合に臨むのは、けして愉快なものではないだろうが、まるっきり 「 気迫 」 が伝わってこない。
昔から、巨人と阪神の試合は 「 伝統の一戦 」 と呼ばれ、それは両チームの勝率に関係なく、人気カードとして観客を集めてきた。
王・長島が現役の 「 巨人 V9時代 」 には、運良く2位にはなれても、まるで阪神が優勝できる気配を感じなかったけれど、巨人戦は盛り上がった。
その理由の一つが、両軍の主力選手同士が競い合う 「 ライバル対決 」 という要素で、試合の形勢が一方的でも、ファンには別の楽しみがあった。
往年の、村山 対 長島、江夏 対 王、掛布 対 江川 などの対決は、試合の趨勢に関わらず、一打席毎に見応えのある好勝負が展開されたりもした。
好敵手を得たことで、彼らは互いに切磋琢磨して技術を磨き、体力を鍛え、死力を尽くして戦う 「 気迫 」 を、観る側の我々にまで伝えたのである。
最近の野球がつまらないのは、こうしたライバル同士の個人対決が盛り上がらないために、弱いチームにはまったく 「 見るべき点がない 」 ところだ。
継投のシステムとか、強力打線とか、各球団は勝つために全体的な強化を図っているが、評価されるのはあくまでも 「 勝っているとき 」 である。
どんなにチームが低迷していても、「 ○○と▲▲の対決が見たい 」 というような好敵手同士の白熱した戦いがあれば、それなりにファンは楽しめる。
先日の巨人対阪神戦などは、まったくそのような楽しみもなくて、ただ単に弱いチームが阪神相手にダラダラと 「 やられっぱなし 」 の体で終始した。
陣営が工夫して個人対決を盛り上げていかなければ、弱い球団には何の見所もないわけで、ただの消化試合としてしか成立しないのである。
勝つチームがあれば負けるチームがあり、どこかが強ければどこかが弱いのは当たり前で、いくら戦力を整えたところでそれは変わらない。
昔のように 「 面白い野球 」 を見せるためには、好敵手の存在を明確にして、個人対決の妙味を演出する必要もあるように思う。
たとえばイチロー選手のように、各選手が卓越した己の技量を高めることも重要だが、「 宿敵 」 の存在なくしては、全体が盛り上がらない。
これは、どんなスポーツでも同じことだが、感動を与え、人々の記憶に残るのは、たとえ団体競技でも 「 宿敵 」 との死力を尽くした闘いである。
そこに焦点を当てず、論理的に 「 強いチームづくり 」 をはかったところで、球界全体の人気回復には貢献しないような気がする。
|