| 2005年08月16日(火) |
現実に目を向ける重要性 |
「 地上におけるあなたの使命が終わったかどうか、テストをしてみよう。
もしもあなたがまだ生きているのであれば、それは終わっていない 」
リチャード・バック ( 作家 )
Here is a test to find whether your mission on earth is finished: if you are alive, it isn't.
RICHARD BACH
誰でも一度は、「 なぜ、自分はこの世に生まれてきたのだろう 」 と考える。
そんな経験が一度もないという人は、ちょっと変わった存在だと思う。
リチャード・バックは、ベストセラーになった小説 『 かもめのジョナサン 』 を書いた作家として、日本でも名を知られた人物である。
あの本に登場するジョナサンは、飛ぶことが好きで好きでしょうがないカモメであるが、あれはリチャード・バックの化身だという説が強い。
実際、彼の人生におけるテーマは 「 飛ぶこと 」 であり、もう一つの重要なテーマは 「 真理の追究 」 なのだそうだ。
彼の作品群を読めば、「 この世に生を受けた者は、なんらかの “ 使命 ” を与えられているのではないか 」 という概念が、随所に表現されている。
生命の威厳とは、ただ生かされているだけではなくて、何らかの使命を全うするために目的をもって前進することにあるという考え方だ。
終戦から60年目の節目にあたり、メディアのみならず、たとえば私のようにWEB日記を書く素人ライターまでが、いろんな意見を述べている。
その中で気になったのは 「 犬死に 」 という言葉で、死を覚悟して玉砕した兵士や、その他、戦争の犠牲になった人々に向けて使われている。
私には、戦後60年が経過したとはいえども、命がけで日本のために戦った御霊に対して、そのような言葉を投げかけられる神経が理解できない。
私はあまり霊的な話だとか宗教じみた話を信じないタイプだが、もし彼らの霊なり魂なりが彷徨っていて、そんな話を聞いたらどう思うのだろう。
祖国や、愛する人々を守ろうとして我が身を捧げた兵士に、「 あなた方の死は、まったく無意味でしたね 」 などと、口走ってよいものだろうか。
私に言わせると、年間3万人以上もいるという 「 自殺者 」 こそが犬死にであり、何の使命も目的も達っさない 「 人間のクズ 」 である。
実際の 「 犬 」 を飼った経験からいうと、彼らは懸命に己の生涯を生き抜こうとするものであり、自殺者、自殺企図者のように愚かな卑怯者ではない。
だから本来は 「 犬死に 」 などという言葉を使うことすら不本意であり、そんな連中は明らかに 「 犬以下の存在 」 だと言ってよいだろう。
ちなみに、自殺者、自殺企図者と左翼思想家は、戦争に関わる話題について語るとき、不思議と同じような論調を執ることが多い。
彼らには、似通った 「 共通点 」 が存在するのである。
彼らの共通点とは、「 過去にこだわり、現実に目を向けない 」 姿勢であり、その結果、思想には関係なく、同じような論調になるのだ。
自殺者 ( は、死んでいるので書かないが )、自殺企図者は、現実の厳しさに立ち向かう勇気がないので、嫌な現実から目を背ける傾向にある。
左翼思想家は、過去における日本の過失や責任ばかりを批判し、とにかく日本は悪いことをしたのだから反省するべきだとしか言わない。
その結果、両者ともに、過去の戦争における悲惨な映像や写真、文献ばかりに焦点をあて、二度と繰り返さないようにとばかりの主張を繰り返す。
すぐ間近に安全保障上の危機が迫っていたとしても、その事実は 「 過去に対する追求と批判 」 を行う上で都合が悪いため、常に無視され続ける。
もちろん、過去に学ぶ姿勢は必要だし、同じ誤りを繰り返さない努力をすることも重要である。
ただし、大事なことは 「 いま、生きている自分たちの世界 」 や、「 未来 」 であって、過去そのものではない。
過去の戦争における悲惨な結果を感傷的に眺めるだけではなくて、現在、我々が置かれている世界の仕組みや構造にも、目を向けるべきである。
戦後60年を、単に 「 過去を振り返るだけの機会 」 ではなく、「 これからの日本を考える機会 」 にしたいならば、現実から目を背けては成し得ない。
ちゃんと現実を見据えて、「 それでも憲法を改正するべきでない 」 と説得できるような左翼思想家には、残念ながらお目にかかったことがない。
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