「 私は洋服をデザインするのではなく、夢をデザインするのです 」
ラルフ・ローレン ( ファッション・デザイナー )
I don't design clothes, I design dreams.
RALPH LAUREN
昨夜に続き、石津氏を偲んでファッションの話を少々。
今夜は 「 私のファッション史 」 みたいな感じで・・・
たぶん、他の人も似たようなものだろうけれど、最初に自分のお小遣いで、着たいと思う服を購入したのは、中学生のあたりからだと思う。
70年代の前半は、ジーンズが急速に普及し始めた頃だったので、ジーンズやら、デニム地のオーバーオールなんかを買った記憶がある。
もちろん当時は、ジーンズではなく 「 ジーパン 」 と呼んでいた。
それより以前から日本にジーンズは存在したが、私より上の世代の人は 「 ジーパンを穿いている奴は不良だ 」 と批難され、肩身が狭かったのだ。
ヒッピーや、赤軍派や、全学連や、反戦フォークシンガーなど、当時の大人が 「 息子にだけは、なってもらいたくない 」 人種がジーパンを穿いていた。
それらの過激な時代風俗が収束して、世の中が平穏になった頃に、ようやくジーンズに対する偏見も解け、広く浸透して定着していったのだ。
夏はT−シャツにジーンズ、冬はネルシャツやコーデュロイにジーンズ、春と秋にはジージャンにジーンズで、一年中ジーンズを愛用した。
ところが、たった二〜三年で、私はジーンズを穿かなくなった。
その原因こそが、私と「 VAN 」 との出会いであり、アイビー、トラッドというファッションの坩堝にハマりこんだ高校生活の始まりである。
世の中の流れ的にみると、ジーンズが脚光を浴び始め、アイビーが廃れていった時代だったのだが、中学生に 「 VAN 」 は早すぎたのである。
詰襟の学生服の下には 「 VAN 」 の白BDシャツ、ベルトはコードバン、靴はローファー、ソックス、ハンカチ、トランクスまですべて 「 VAN 」 である。
私服では、ボトムは綿パン ( コッパン ) かチノパン、布帛のシャツは花柄、チェック、ストライプ、小紋など、かなりの種類を集めていた。
ニット系では、オーソドックスなアイビーセーター、ベストなどに加え、当時、ちょっと流行ったボートネックのセーターなどが懐かしい。
高二の夏頃からはニュートラ ( 最近のニュートラとは別物 ) が大ブームになり、背伸びして大人っぽいモノを ( 似合いもしないのに ) 着ていた。
クリスマスが近づくと 「 KENT 」 のブレザーが欲しくなり、清水の舞台から飛び降りて買ったのだが、さすがに高価で、他には何も買えなかった。
高校を出た翌年に 「 VAN 」 が倒産し、その取り扱い店が次に看板商品としたのが、ブリティッシュ系のトラッドや、メロー系のトラッドだった。
その頃に買った商品でよく覚えているのは、肩にエポーレット ( 肩章 ) の付いた薄手のセーターとか、アースカラーのシャツなどである。
マンシングのゴルフウェアや、ラコステ、ラルフローレンなどのポロシャツが流行りだしたのもその頃で、そんな格好をして大学に通った。
モノは良かったのだが、すぐに飽きてしまうデザインが多く、メンズクラブという雑誌を眺めては、ああでもない、こうでもないと迷い続けた。
悩んで吟味し、大金を投じたわりに 「 思い出深いファッション 」 は少ないのが、当時 ( 80年代初頭 ) の購入商品群である。
社会人になり、会社に入る前に 「 絶対、これを着たい 」 と決めていたのが、ブルックス・ブラザースのスーツだった。
ところが、当時のスリムな私には、かなりサイズ的に無理があって、実際に購入したのは、同じ路線のJ・プレス、ニューヨーカー、エドワーズだった。
だから30歳を過ぎ、ウエストが76cmを超え、なんとかブルックスを着られるようになったときは、ちょっと感動したことを覚えている。
意気揚揚と青山のブルックス・ブラザース ( しかもここは、VAN の本店があった場所である! ) に出かけた日の事は、今でも忘れられない。
店員さんにとっては 「 わかりやすい客 」 だったようで、同じ業界の人間であるにも関わらず、勧められるままに大量に買い込んでしまった。
私は一度社会人になってから留学しているので、アメリカでの学生生活は、比較的に余裕のある暮らしができ、着る物にも困らなかった。
アメリカ人は、鼻ったらしの小僧でも、ちゃんとフォーマルを自前で揃えていて、いつもは小汚い友達が、たまにめかし込んでいるのには驚いた。
最初に現地で新調したディナージャケットは子供用で、華奢な日本人なんて中学生並みの体格しかないことを、改めて思い知らされた。
普段はアイビーリーガーのスタイルで、スウエットが圧倒的に多かった。
日本に帰ってきたら、すぐにスーツで出社して ( 企業派遣なので )、かなり違和感のある状態だったが、有意義な体験だったと思う。
30代は、念願のブルックス・ブラザースを筆頭に、ラルフ・ローレン、ポール・スミスなどの好きなブランドが満喫できた時期だった。
バブル期に、アルマーニなどのデザイン物に宗旨変えした仲間も多かったが、私はトラッド一辺倒にこだわり、特にスーツは姿勢を崩さなかった。
ジーンズを再び穿くようになったのも30代からで、最初はリーバイスしか穿かなかったのだが、ディーゼル、エビスなども穿くようになった。
いまは、過去ほどファッションというものにこだわっていないが、いつまでも 「 自分らしい 」 服装ができればいいなぁと思っている。
ファッションの自分史を振り返ってみると、やはり 石津氏 の影響を少なからず受けているわけで、氏の訃報に際し、改めて感謝を捧げたい。
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