| 2002年07月19日(金) |
無になるとしか思っていないからかな |
今日はおじいちゃんの命日のような気がする。 あまりよく覚えていないけれど。 確か小学校四年の夏休みは、お通夜から始まったと記憶する。
おばあちゃんの命日は、ここ五年以内のことなのに覚えていない。 おばあちゃんの死を看取った母は、私が仕事で忙しいだろうと思って 葬式に呼ぶかどうかを迷ったらしい。
父方のほうの二人は、私が産まれる前に亡くなっていたそうなので まったく知らない。ただ、祖父の命日と私の誕生日は同じらしい。 かといって「生まれ変わりだ」などと馬鹿げたことをいう人も居ない。
そういえば親の誕生日なども覚えていないし、 親も私の歳を性格に把握していない。一人っ子だけど。
うちの中で、家族が死んで残された者が泣いているのを見たことがない。
飼い猫が死んで大泣きしているのは見たけれど。
私にとって家族の死は、静かに深く受け入れるだけだった。 悲しいとか悔しいとか、感情を伴うものではなかった。
それは、まだ親の死を経験していないからかも知れないし 誰の死でも同じなのかも知れない。
とくに仲の良い家族のメンバーっていうのはいないけれど、 おばあちゃんの持っている感覚は私と非常に近かった。 どんなことを言われるとイヤだとか、どんなことが恥ずかしいとか そういう感覚がとても似ていて、手に取るようにわかった。
だからといってお互いに庇い合うようなことや慰め合うようなことが あったわけでもないので、ただ単に 「あー・・・唯一、同じ感覚を持った人がいなくなっちゃったなー」 という事実を受け入れただけだった。
すべては淡々と淡々と廻っている。家族って、なんだろう。
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