部長motoいっぺい
DiaryINDEX|past|will
| 2005年08月23日(火) |
「反○○」の薄っぺらさ |
連日マスコミでは、郵政解散の話題でもちきりである。小泉総理大臣は自民党でも郵政法案に賛成しなかった議員の公認を拒否し、はじかれた格好になった政治家達は国民新党や新党日本なる政党を立ち上げて、なんとか選挙を乗り切ろうとしている。
自分の信念と違う政策を掲げる政党を離れる政治家が出てきて、それが政界再編につながるというのはごく自然な流れだと思うのだが(これまでそういう流れが少なかったことのほうがおかしい)、今回新党に参加した政治家たちの主張を聞いていると、自分たちの信念を主張しているのではなく、単に「反小泉」を主張しているようにしか聞こえない。
確かに「反○○」という主張は、某国における反日運動同様、一時的なパワーとしては結集しやすいものの、所詮「反○○」はそれだけのものでしかなく、倒すべき対象が変化してしまえば、烏合の衆になるしかない。政治家たるもの、単に何かに反対するだけではなく、自らの信念を国民に語るべき役割を担っていると思うのだが、その辺のことを今回新党に参加した政治家たちはどう考えているのだろうか。
|