部長motoいっぺい
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2005年03月25日(金) 米国で話題の尊厳死問題

日本でどの程度話題になっているか分からないが、最近のアメリカ国内ニュースは、テリ・シャイボさんという方の尊厳死が認められるか否か、ということでもちきりである。

ご存知ない方のために経緯を簡単に説明すると、シャイボさんは1990年に心臓発作で倒れ、その際に脳が酸欠になったことにより、重度の脳障害を引き起こし、回復の見込みはほとんど無いと診断された。

シャイボさんの夫のマイケルさんは、妻が以前から尊厳死を望んでいたことを理由に延命措置を中止するよう申し立てているが、テリさんの両親は娘が完全な植物状態ではなく、かすかな反応もあることを理由に、延命措置を継続するよう主張している。

この問題は裁判に持ち込まれ、下級審から最高裁の全ての裁判所が、テリさんの保護権者である夫の主張を支持し、現在は生命維持用の栄養チューブがテリさんの体から外されている。そのため、このままだとテリさんの命は、あと1週間ほどしか持たないとされている。

話がややこしくなるのは、これに宗教と政治がからんでいることだ。

キリスト教右派は、この「尊厳死」を道徳的な罪として鋭く批判し、またキリスト教右派を支持母体とする共和党のブッシュ弟(フロリダ州知事)およびブッシュ大統領も、この決定に対して批判的であり、法律を変えてまで延命措置を講じる可能性を示唆している。しかしこれに対して、テリさんの尊厳死問題を、自らの支持拡大に利用しているだけだという批判も出てきている。

世論としては、「自分であれば尊厳死を選ぶ」という人が多いこともあり、尊厳死自体に対しては肯定的であり、政治がこの問題に介入することに否定的な人が多数派を占めている。

で、ここからが僕の意見。

何より僕が違和感を感じるのは、テリさんの生死が夫の判断だけで決定され、両親の思いが一切反映されていないところにある。法的な保護権者が誰かという議論は別として、倫理的にその状態は間違っていると思う。

確かに僕個人も、そういった状態であれば「尊厳死」を望むと思う。しかしテリさんのケースは、両親がシャイボさんに生き続けて欲しいと切望しているのだ。本人から両親に対して「尊厳死を選びたい」という意思表示がされているのであれば別であるが、不幸なことに、テリさんの意志はうかがい知ることができない状態になっている。

実はこの裁判は今回が初めてではなく、数年前から断続的に行われており、判決のたびに栄養チューブが抜かれたり、再度挿入されたりという状況になっている。驚きなのは、人の命に直接かかわることなのに、下級審の判決が下った段階で、すぐに栄養チューブが抜かれていることだ。どうして上級審による判決を待つことぐらいできないのか、極めて疑問である。

このように、人の生死が本人の意思と関係のないところでもてあそばれている状態は、まさに道徳に対する罪だと思う。


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