かなしいうわさ
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2006年04月08日(土) 529

映画「スティーヴィー」を十三・第七藝術劇場にて。






ホワイトトラッシュの性犯罪者を追ったドキュメント。
心をとてもとても深くえぐられた。

監督は、ビッグ・ブラザーという問題のある子供の「義理の兄」になるというプログラムで、主人公のスティーヴィーと出会う。スティーヴィーは典型的なホワイト・トラッシュ。幼い頃に実の母から受けた徹底的な虐待、施設で受けたレイプを経て、どうしようもないロクデナシになった。あげくには肉親の8歳の娘に性的いたずらをしたという容疑で逮捕される。そんなどうしようもないスティーヴィーを、「ドキュメンタリー映画の監督」であり「義理の兄」であり「友人」であるという複雑な関係である監督が、「彼をこうして映画に撮ることは、はたしてよいことなんだろうか?」という葛藤をまるだしにしながらフィルムに刻んでいく。ドキュメンタリーなのにもろに主観的なのだ。もちろん客観性を保つべく多くの人に取材をして様々な視点で問題を切り取ってはいるけれど、実はそれは映画としての客観性を考えてというよりも、「義理の兄」として、彼を知り、更生させたいという気持ちだけから出てきているようにみえる。つまり、この映画は完全に「加害者側」の視点から撮られている。だからこそ描けているものがある。それは他人に対する「想像力」の喚起だ。

 人間の想像力なんてたかが知れているから、人の気持ちなんてうまく考えられない。人は凶悪な事件の加害者に対して「極悪非道」「あんな人間がいるなんて信じられません」「耳を疑います」「しねばいいのに」という反応をしてしまう。でも、自分は善良な人間ですよ当然、と思っている人たちだって、ただ想像できていないだけで、実は加害者と紙一重なんだ。もちろん環境や状況や年齢を言い訳にすることは許されない、だけど、そういったことが何かひとつ悪いほうに違っていただけで、自分が加害者になっていた/これからなるかもしれない、ということは自覚して想像してほしいんだ。加害者を擁護したり同情したりするべきとは思わない。やってしまったことは最悪であり、それには同情の余地もないし、きっちり落とし前を付けられるべきである。でも、映画をみてもらえればわかるけど、スティーヴィーはくそったれで最悪なロクデナシではあるけれど、まぁ、結構いいやつだ。周りの人間もいいやつだ。じつは皆いいやつだ。そして同時に皆クソッタレだ。君や俺と変わんねーじゃん。自分は違いますよまともですよ、なんて思考停止しないで、自分のこととして、想像してほしいんだ。犯罪者に限らず、自分の理解できないひとを、自分の埒外に置いて隔離しないでほしいんだ。
監督を含めて、スティーヴィーのまわりの人間は、スティーヴィーが度々繰り返すくそったれな言動にも関わらず、彼から逃げない。隔離しない。そんな彼らをみてほしい。そして、悪行を重ねつつも、感情に蓋をしているだけで実は悩み苦しんでいるスティーヴィーをみてほしい。

日常のストレスを痛快に発散させてくれたり、気持ちよく感動に浸らせて泣かせてくれたり、というエンターテイメント的な要素はほとんど無い映画なので、映画にエンターテイメントのみを求める人にはきついかもしれない。痛いし、なるたけ見ないで生きていければよい部分ばかり出てくる。ただ、この重苦しい3時間を経て、すこしでも想像してほしいんだ。想像することでしか憎しみの連鎖は止まらないと思うから。

俺はずっとずっと、こんな映画があったらいいと思っていた。
環境、時間の都合がつけられるかた、観られるひとは、ぜひ観てください。 お願いします。



俺がこの映画を観るきっかけを作ってくれた文章です。素晴らしい。
http://d.hatena.ne.jp/maaa55/20060309
俺のよくわからん感想なんてここを読めば全く必要ないかも...
ぜひ読んでください。










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