どんぐり1号のときどき日記
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2010年04月18日(日) 記憶と記録とノスタルジー

 昨日に引き続き、一日中病院を行ったり来たりである。まあ仕方がないが…。

 ところで。
 まもなく完成する仙台トラストタワーがある一番町一丁目には、かつて東北学院中学・高校があった。2005年に移転して取り壊されたのだが、現在ここに記念碑を建てようという計画があると新聞に載っていた。

 向かいのSS30は宮城学園の跡地なのだが、もう人々の記憶から薄れている事から、東北学院の関係者は危機感を持ったのだろう。ただこの気持ちは理解できるが、例えば育英高校の記念碑が錦町公園にある事を知っている人がどれだけいるだろうか。つまり青春期の思い出を残すためには、記念碑だけを建てても意味はないのだ。

 学校の思い出というのは、校舎単体で成立しているものではない。一番大きいのは友人や教師との人間関係で、それなくして学校というものは存在し得ないし、それだけでも充分思い出にはなるが、高校ともなればその他に周囲の町並みや良く利用した店等の思い出が複雑に交差して、初めて青春の思い出として成立するのではないだろうか。

 だがここ20年で仙台の中心街はとんでもなく変貌した。書店、映画館、名画座、模型屋、電気のパーツ屋、MGCやCMC、古本屋など、高校時代に活用した場所がことごとくなくなってしまったのだ。私にとっては、これらの渾然一体とした妖しげな雰囲気が仙台の魅力だったので、これらが消えていくと共に青春期の思い出を励起するキーは消えていったのである。
 あの頃の仙台は、少しばかり意味合いは違うかも知れないが、昔の秋葉原の雰囲気に近いものがあったと思う。私が今のメイドが闊歩する秋葉原を見ても懐かしさを全く感じないのは、多分同じ理由だろう。あまりに変わってしまったのだ。

 結局のところ、仙台の青春時期から残ったのは、友人という貴重な存在だけかもしれない。もちろんそれだけでも充分なのだが、やはり当時の街並みがある程度は残っていて欲しかったとも思う。人間とは、わがままな生き物なのである。
 まあ元学院高校生だから、そのくらいの事を言うのは許してもらおう。


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