どんぐり1号のときどき日記
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まこさんから遅い年賀状が届いたが、予想どおりストレートな2010年ネタだった。 本当は何もなければ私も使うはずのネタなのだが、今回は三沢のサンダーバーズがあったので、そちらで統一したのだった。でも一生に一度しか使えないネタではある。次は2061年なのだから…。
夕方から、チャウチャウと合流してKCの父親のお通夜に行く。午前中にチャウジさんも行くという連絡を受けていたので、3人は確定だったが、いざ受付へ行ったら後ろにTAMが立っていたのでびっくり。チャウチャウは上着を忘れてきたが、お通夜だからまだ許されるだろう。そもそも彼が喪服の上着でないと誰も気づいていなかったのだし。 なおこの宗派での「他力本願」は、キリスト教の「求めよさらば与えられん」に近いらしい。自ら努力すれば、あとは他者の援助などで助けられるというものらしく、どちらかと言えば良い意味になるらしい。なるほどね。しかし久々の長時間の正座は、やはり疲れる。 一通り終わって、TAMとチャウチャウは早めに帰り、チュウジさんと私はしばらく残ってKCやおがにゃん、KCの母親と話をする。なんだかんだと話をしていたらあっという間に20時となったので、退去する。 しかし最後の「コーヒー飲む人いますか〜」には、チュウジさんと二人で「ESIFCONかい」と笑ってしまったのだった。
帰宅して、どんぐり2号に買ってきてもらった小峰隆生著「1968少年玩具」を読む。サブタイトルが「東京モデルガンストーリー」で、私を知る人なら買うのも当然だと思うだろう。まあその通りだ。
この人の文章はかなり軽いが、今回の本はなかなか面白いテーマなので無条件に買った。1970年前後あたりにモデルガンに夢中になった「男の子」の、バカさ加減が実に上手く表現されているのだ。もちろんこの場合のバカというのは「極端に熱中していた」という意味なのだが、実はこのテーマには、どうしても同時代性の問題がつきまとう。なにせヤクザを取り締まれない無能な警察が、昭和46年規制と昭和52年規制という、二度にわたるオモチャ狩り法案を通してしまった事により、せっかく手に入れた楽しみが永遠に奪われたのだから。 モデルガンを国家権力で取り上げられた悔しさというのは、当時リアルタイムで経験した人間でないと、多分判らない。いや、モデルガンに熱中して危険な領域まで踏み込むくらいのバカでないと、この楽しさと悔しさは理解できないかもしれない。 この本は、そこに至る楽しみと悔しさが、実に上手く描かれている。文章は今ひとつだが、内容はお勧めだ。当時バカだった人及び今でもバカな人には特に、である。そしてそんな人にとって、この本のラストは泣ける。だがこのラストで泣ける人というのは、かなり限られると思われ、そこが同時代性の弱点だ。 おそらく当時の規制騒ぎの巻き添えを喰った人以外には、何故これがそんなに悲しい事なのか、多分理解できないだろう。
ちなみにこの本では、多分ここは作者が作ったなという部分もあると感じるのだが、これは当時モデルガンに熱中した人間なら、なんとなく判るはずだ。これはそれ以外の人には判らない。そういう楽しみ方も出来る本なのだ。
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