どんぐり1号のときどき日記
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| 2009年01月10日(土) |
「Ultraviolet code 044」の欠点 |
どんぐり2号が東京へ行くので、早くから出かけた。
送り出した後、なんとなく起きてしまいyoutubeで「Ultraviolet code 044」の後半部分を見てしまう。 実はyoutubeに載ってすぐ第一話を見たのだが、出崎演出と脚本が異様に古臭く感じられて、とても見ていられず、そのまま放っておいたのだ。 今回後半を見て改めて思ったのだが、間違いなく演出が古い(「スペース・コブラ」の頃と何も変わっていない)。これでは映画のウルトラヴァイオレットの世界観すら破壊してしまっている。しかも脚本がその場しのぎで、辻褄が合わないご都合主義になっている。週に一回見ていればともかく、続けてみると「???」となってしまうのだ。最終回に至っては、足が動かず寝込んでいる44がいきなり走り出すが、その説明もないし、あまりに不合理だ。 その上内容は完全に任侠の世界で、多分滅びの美学を描きたかったのだろうが、完全に失敗している。また叫ぶキャラクターが多く非常にうるさい。まだ「ウルトラヴァイオレット」の名前がなければ、それなりに見られたのかもしれないが、これではダメだ。いくらラストに映画版のヴァイオレットが出てきても意味は全くないし、いろいろと科学的にもおかしすぎる。
それでもここまでなら出崎監督のアニメだと割り切れば見られない事もないのかもしれないが、最悪なのは、製作側がGUN-KATAを全く理解していない事だ。 確かに映画版の「ウルトラヴァイオレット」で、正式にはGUN-KATAと言うものは使われない。だが映画を観れば判るとおり、別解釈のGUN-KATAが使われている。つまりGUN-KATAを進化させるために、守りの理屈付けを強化したのである。これにより、攻守揃ったGUN-KATAの理屈付けが大体まとまった事になる。 GUN-KATAとはカート・ウイマー監督が作り上げた、本当に独自のアクションなのだから、「リベリオン」に続いて「ウルトラヴァイオレット」でも使われ進化するのは当然と言えば当然だろう。いずれカート・ウイマー監督には「GUN-KATA」というそれを主題にした映画を作ってもらいたいものだ。
とにかく「Ultraviolet code 044」の最大の欠点は、誰もGUN-KATAを理解しておらず、そのシーンがまったくないという事に尽きる。これは小説版と全く同じ欠点だ。なにせ小説版ではただのカンフー扱いなのである。やはりGUN-KATAというアクションは、今までのアクションにはない全く独自のものなので、きちんと理解できた人間はそう多くはないらしく、おそらく一般的メディアでは「荒唐無稽」の一言で片付けられ、真面目に考えた人間は少ないのだろう。 こうして考えれば判るとおり、結局はアニメにした意味が全くないのである。少なくとも今の出崎に監督を依頼した奴は、アホウ以外の何者でもない。これは出崎監督の責任よりは、企画者の責任の方が大きいだろう。実にもったいない。
でもここまでやったのだから、サントラは出して欲しい。アニメでは一部で映画の音楽が使われているのだが、「ウルトラヴァイオレット」の正規版はもとより海賊版すら出ていないのだ。「リベリオン」は海賊版のみが出ているが、やはり正規版が欲しいではないか。
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