どんぐり1号のときどき日記
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2009年01月07日(水) 「ナチスと映画」

 まだまだ休みの会社も多いので、営業はヒマそうにしている奴も多い。

 そんな日の夜、中公新書の「ナチスと映画」(飯田道子)を読み始めた。映画に関する事ばかりではなく、ナチスの発展の歴史を客観的に書いており、これが意外と面白い。
 最近はこういった、ナチスの行った事を単なる独裁政権の残虐行為だとするのではなく、それに至った過程、国情、世界情勢あるいは人間の心理などから突き詰めていく書物や映画が増えた。やはりこういうものは客観的描写で追及する方が良い。あまり感情が入りすぎると、真実が見えてこなくなる恐れがあるからだ。
 そもそもナチスの残虐行為にしても、近年の日本でオウム真理教(現アレフ)が行ってきた行為と考え方においては何も変わらない。何かを求める時の人間の群集心理は、今も昔も全く変わらないという事なのだ。
 それは現在の日本で、不景気と言う言葉に踊らされている民衆とも変わらない。元々ナチスが人心を掌握できたのは、絶望的なほどの大不況から、経済対策が驚異的なまでに成功したからだ。ナチスが政権を把握した当初は、別に独裁政治を行ったのではなく、経済対策により民衆の絶大なる支持を得たからに他ならない。もちろんヒトラーやゲッベルスのように宣伝に対する天才的手腕を発揮できた人間がいたというのは大きいが、元々はどこの国にでもあるように、一つの政党が民衆の絶大な支持を得る事に成功したと言う、ただそれだけの事なのである。
 そういう群集心理が判らないと、オウムを初めとするカルト集団、あるいは暴力団における服従は理解できない。少なくとも事件になった時の責任の所在は、当事者ではなくその組織にあるという事が理解できなくなる。

 もっともそんな事は現在の日本人なら普通に考える事だが、この本が面白いのは、やはり映画に関しての内容だ。
 当時のナチスは、政治のプロパガンダとしての映画という使い方を発展させ、実際にそういう使い方をメインにしていたのは確かだが、それとは別に娯楽としての映画も重視していたのだと言う。
 彼らはプロパガンダとして押し付ける映画だけでは、民衆の支持は得られなくなると、当初から看破していたのである。それが戦争末期にもなると、初心の大切な事項をすっかり忘れてしまった訳だが、少なくとも戦争初期までは、非常に冷静な人心掌握術が行われており、民衆の娯楽と言う物も重要視していた訳である。
 だからナチスは政党として支持を維持し続ける事ができた訳で、これは現在の普通の政党とやっている事は何ら変わらない。実はそれが一番恐ろしいのであって、世界中のどんな政党であっても、独裁政治に走る事は可能だと言う事を証明しているのである。
 それが判っているからアメリカと言う国は独裁政権を非常に恐れ、少なくとも自国では絶対に独裁政権が機能しないように様々な仕組みを作っている。この部分はもっと日本も見習っても良いだろう。人間とは、簡単に堕落する生き物なのだから。

 いずれナチスというのは、ある種天才の集まりだったのは間違いない。当初はそれがかなりまともに機能していて、ドイツを立て直そうと言う姿勢は本物であり、それはヒトラーが一番重視していた事項だ。それがどんどんおかしな方向に向かう過程は、実は異常ではなく、どこの国のどんな権力者でも陥る可能性がある普遍的な事柄なのである。
 ゆえにナチスをまともに勉強しておく必要があるのだ。


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