どんぐり1号のときどき日記
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| 2008年10月15日(水) |
衝撃的作品とは思えない |
あちこちで、衝撃のラストとか言われている「喰霊−零−」をyoutubeで見た。 だが何がそんなに凄いのだろう。そもそもラストと言っても第一話である。最初からこんな事をしたら、続きが読めてしまうのだが…。元々アニオタと言われている連中は、他のジャンルを知らない人間が多いので、実は他のジャンルでとっくの昔にやっている事に驚いたりするから、こちらとしては呆れてしまう事の方が多い。
もちろん他のジャンルでは似たようなものがあったにせよ、それを自分なりに昇華してしまえばそれは名作になる。例えば「伝説巨人イデオン」はSFネタとしては特別珍しいものではないのだが、それでもとんでもない作品に仕上がってしまった。もちろん富野監督のただの開き直りという見方も出来るが、ありとあらゆる事を差し引いても、快作だったのは間違いない。こういう作品こそが衝撃のラストだと言えるし、そこに至る過程がとんでもなく面白かったのだ。
だが「喰霊−零−」は一話のラストでこんな事をやってしまったのでは、当然展開の幅が狭くなる。なんというか、だから? という感じになってしまうのだ。しかもあえて言ってしまえば、「LA大捜査線 狼たちの街」という先例があるからなおさらだ。ちなみに1985年の作品なので、もう20年以上前の作品だ。 この「LA大捜査線 狼たちの街」という映画はJamanyaと映画館で観たのだが、本当に観客の狼狽が判ったし、私自身もこの展開には驚いた程だ。当時、かなりのインパクトがあったのは事実である。ウイリアム・フリードキン監督作品だけあって、映画としてもそこそこ面白いものだったから、この展開には本当に驚かされた。 一般的な人間はこういうもので鍛えられるから、映画の真似ばかりしているアニメでは、驚く事などまずない。だからこそアニメ業界の人間は勉強しなければならないのだ。
冨野監督や押井監督は、パクリの名人なのだが、それを自分の中できちんと消化して、その上で別の映像にして出力できるから巨匠たりうるのだ。これは映画の勉強をきちんとしていなければ、到底無理である。今の若い監督と言われる連中はそういう勉強をしていないから、特にどうという事もないものに驚いてしまうのだろう。 アニメの未来は灰色だ。
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