どんぐり1号のときどき日記
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| 2008年09月12日(金) |
「ダークナイト」は傑作かもしれない |
仕事もさっさと片付け「ダークナイト」を観るために19時には会社から逃げ出す。 ちなみに仕事をさっさと片付けるという事は、新たな仕事は全て後回しにすという意味だ。そうしないといつまでも終わらないのである。 一応安全策を取って名取のワーナーマイカルへ向かったのだが、金曜のこの時間はかなり渋滞しており、結構ハラハラしてしまう。それでも19時25分には充分余裕で間に合った。なにせ観客数自体も5人ほどしかいなかったのだし。
それはともかくこの「ダークナイト」は、実に見事な映画に仕上がっていた。 観終わって、題名に何故「バットマン」を付けなかったのかも納得できる。これはバットマンの立場を表しているとともに、バットマン以外のキャラクターも活躍する群像劇としての映画だと説明しているのである。
その中でも、前評判どおりヒース・レジャー演じるジョーカーは秀逸で、以前ジャック・ニコルソンが演じたジョーカーをはるかに凌駕するキャラクターになった。見た目には恐怖を感じないが、完全なる狂気の持ち主としての不気味さが見事に表現されていたし、その存在感も圧倒的な素晴らしさだ。 なにせ彼は悪党である事自体が存在理由であり、金や欲というものには特に興味がく、それでいて「バットマンがいなければ、自分はただの盗人でしかない」、つまり「バットマンがいる事で自分が悪党として存在できる」と喝破しているのだ。 これは今までのヒーロー系の映画では避けてきた部分で、だからバットマンに対して「ゴッサム・シティが平和になったら、あなたはどうするのか」という問いが出てくる。このあたりをストレートに表現した事でも、この映画は傑作となっている。
そしてこれだけ強烈なキャラクターが登場すると、普通は主人公などが食われてしまうものだが、監督のクリストファー・ノーランはそのあたりの処理が非常に上手いようで、個性的な人物を多く配置していながら、他のキャラクターに埋没してしまう事がなく、しかも全員が記憶に残る。だから群像劇として成功しているといえるのだ。 さらに前作の「バットマン・ビギンズ」を観ていなくても、素直に映画に入り込めるように設計されているところも上手い。これは前作とは舞台、設定を密かに変えてあるという事であり、キャラクターに引っ張られる事がないように、世界観を先に再設定したのではないかと考えている。だから映画として破綻せず、見事にまとまっているのだ。
これだけ群像劇としてうまく作れるのであれば、87分署シリーズを撮らせてみたいと私は思う。もしこの監督が撮れば、おそらく傑作ができる可能性が高いと思うのは、前述のような根拠による。
ただしこの映画、肉弾戦の部分はともかく、カー・チェイス等のメカが絡む部分は今一つだと思う。ハデさという部分ではなく、根本的にメカのアクションとしてあまりに荒唐無稽なのだ。例えば一般的な車輌というのはあんなに丈夫ではないから、いくつかのシーンでは話が成立しなくなる。その他にも、物理的には目をつぶるとしても、機械的には首を捻らざるを得ないところが多々あった。 それでもドラマ部分が素晴らしかったから、よしとしよう。一般的な人にはメカ・アクションの変な部分など判らないだろうし、押井監督風に言えば、「アクション部分は、時間が止まっているオマケみたいなもの」なのだから。
しかしパンフなどを見ると、クリスチャン・ベールの経歴からは何故か「リベリオン」がカットされているものが多い。B級映画の傑作とはこういうものを指すのだが、日本の映画人にとっては黒歴史なのか?
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