どんぐり1号のときどき日記
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2008年08月16日(土) クラス会 in 弘前

 朝のバスで一路弘前へ。小学校のクラス会に参加するためである。
 いつもなら車にするのだが、一人だと不経済なのと、翌日の渋滞を考えるとバスの方が賢明なのだ。
 しかしこのバスはなんだかサスの調子が変な感じだったが、途中でエア・サスの調整をしていた。確か車のエア・サスはすぐに調子が悪くなって、乗用車ではスバル以外は全て撤退していたはずだ。バスも高速道路ではあまり乗り心地が良いとはいえないようだ。

 弘前に着いてチェックイン後、小学校の周りをうろつく。今日は結構涼しいので歩くのも楽だ。
 だが驚いた事に、ここ1年という短いスパンですら周囲は大幅に変わっていた。38年前の状況など現存しないのも当然である。道路も拡張されているし、同級生の家がなくなっているのも当然だ。

 会場は宮川3丁目の「カルティエ」で、館山君がオーナー・シェフとして経営している店だ。お嬢さんも働いているのだが、従業員も多く、これはたいしたものである。地元新聞にも時々取り上げられているのだという。他にも何件かあるというから、立派だ。
 着いてすぐに工藤先生も到着。本日の参加は17人。会社の役員になった人、合併したら同級生が上司になって驚いた人、独立した人、離婚した人、再婚した人、独身の人等々本当に人生の縮図である。今のところ亡くなった人という情報はないようだが、音信不通が10名以上いるというから、これは判らない。ちなみに当時の先生は、工藤先生と田沢先生を除いて皆他界したそうだ。これは年を考えれば仕方がないところか。
 在日朝鮮人だったみよ子さんは、卒業後に仙台の朝鮮学校へ入ったはずだが、2度先生へ手紙が来た後は消息が全く不明だとの事。まあ本国に帰ってしまったら、手紙を出す事すら難しくなってしまうだろうし、それは今となっては良く判る事情だ。おそらく今後もよほどの事がない限り、会えないだろう。

 ちなみに先生は今日が77歳の誕生日である。たまたま今日欠席の好子さんが商品券を送ってよこしていたので、これで急遽ケーキを作って誕生日のお祝いをする事になった。こういう時オーナー・シェフの店だと助かる。
 ちなみに彼女はちょっと大きな病気をして退院したばかりであり参加できないとの事だったが、元々細い人だったから、体力的には心配してしまう。

 意外だったのは、自分が当時から少し変わっていたと2人から言われた事だ。クラスの中で唯一、他の人とは少し違った存在に見えたというのだ。さすがに当時そんな自覚はなかったが、今でもちょっと信じにくい。
 さとみさんには当時やたらと妹の事を可愛いのだと自慢していたと言われたが、それも記憶にない。7つ離れているから、本当に赤ちゃんの頃の事で純粋に可愛いと言っていたのだろうが、全然記憶になかったりする。そういうのは女性陣は良く覚えているものだと感心してしまった。
 にじ子さんは家庭に憧れて早々ら結婚したが、離婚したそうである。子供2人を引き取り家まで建てたというから、生活力と言う意味でたいしたものである。随分と涙もろくなったようだが…。

 だいぶ長い時間そこにいたが、二次会は14人で鍛治町にある川端君の店へ行く事になった。息子さんも手伝っていた。さすがにこの辺になると酔いも手伝って半分眠っている人も出てくるが、まあそれなりに年なのだろう。なにせ皆50〜51歳である。
 でもさとみさんが衆議院の手伝いをしていると言うだけあって、身なりは一番若く見える。この辺になるとちょっと50歳には見えないだろう。他の女性人はそれなりに年をとってはいるが、それでも比較的若く見える人が多い。という事は単に自分も年を取っているという証拠なのだが。

 いずれ今回は企画を立てて動いてくれた板垣君に感謝である。こういうのは誰かが中心になって動かないとなかなか開けないのである。先生の年を考えるとタイミング的にもいい時期だったのではないだろうか。そして連絡を取っていた岩平君にも感謝だ。このメンツで唯一連絡が取れていたのだから。
 しかし今回のメンバー以外にも何人か会いたかった人もいたが、仕事があったりして来られないという人も多く、これは仕方のない事だろう。いずれ何らかのつながりが復活したという事に意義があるのだから。

 結局時間が足りなくて、全員と話せなかったが、こうやって現在の皆の姿と状況を見る事で、なんだか色々なものが吹っ切れて、弘前に対する幼少の頃の懐かしさというものを薄める事が出来たように思う。これで弘前は、過去の姿ではなく現在の弘前として認識できるようになったという事だ。


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