どんぐり1号のときどき日記
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という訳で、昨日はエル・パーク仙台で19時から行われたセミナー「日本ハードボイルドの黎明−「X橋付近」の時代−」を見て来た訳である。 出席者は、高城高・逢坂剛・池上冬樹の三氏である。
逢坂剛氏は昔から高城高のファンで、今回初対面の高城氏に自分の持っている初版本へサインをしてもらったそうで、気持ちは判る。もっともこのセミナーの話が来た時、「えっ、まだ生きてたんですか」と驚いたそうだが。
冒頭、やはり話題になったが日本においては「ハードボイルトの定義が不明確」なままのようだ。作家によって各々が考え、かつ作っていった作品が、みな違うからだ。このへんはSFの定義と同じかもしれない。 そもそもヘミングウェイ、チャンドラー、ハメットという作家を例に出してすら、定義付けが難しいのである。ましてや戦後日本のハードボイルト三羽烏と呼ばれた「大藪春彦」「河野典生」「高城高」に至っては、みな文章スタイルが違う。彼らを一括りにする事すら無理があるのだ。
なお、村上春樹がチャンドラーを訳したが、あれは原文に非常に忠実な訳なのだそうで、元々チャンドラーという作家の文体自体はウェットだというのである。対して、昔からある清水俊二の訳は映画の字幕と同じで、一つの文章の中に同じ形容詞が三つあればふたつを切っている、というように非常にドライに訳しているのだと言う。そうしないと日本語ではどうしてもウェットになってしまうのだそうだ。結局、日本語はそのままではハードボイルドに向かない言語の可能性が高いのである。 したがって、日本でハードボイルドというもののイメージを作ったのは、他ならぬ清水俊二の功績という事になるのではないだろうか。 ちなみに「日常の会話というのは、相手が何を考えているのか判らず、ひたすら言葉を交わして相手の考えを想像している。つまり日常会話こそが客観的行動描写の積み重ねであり、ある意味ハードボイルドと言える」というのは面白い指摘だろう。 そしてオフレコだが、と断っていたが、村上氏は現在、チャンドラーの「さらば愛しき女」を訳しているのだという。あんなところで話して、オフレコもないもんだ。
そんな中で、方言を使ったハードボイルトは成立するのか、という話もあった。 例えば北海道の漁村の言葉は利用できそうだが、問題はうらぶれた漁村に探偵が来てどうするのか、という事だ。もっともヘミングウェイ・タイプならなんとかなりそうではある。
なお池上冬樹氏が昨年アンソロジーを組んだのだが、やはり作家に了解を得ようとすると、「この作品はだめだ、これにしろ」と言う人も結構いるとの事だ。自選短編集ならともかく、これではアンソロジーの意味はない。 また石原慎太郎の初期作品は、再販が難しいらしく、本人が頑なに出版を拒否しているらしい。今回も「夜を探せ」をアンソロジーへ入れようとして頑なに拒否されたとの事である。
なお高城高氏は、自身が一番影響を受けたのはヘミングウェイだが、チャンドラーも好きで、それでも書いてみると文体はハメットに近くなったという、なんだかとんでもない事を言っていた。 またこの時、ハード・ボイルドはシークエンスとキャラクターが重要だとも言っていた。この辺はなんだか押井監督言っている事を思い出してしまった。
映画についても色々話していたが、高城高唯一の原作映画があって、「消えた密航船」という映画だとの事。存在自体知らない映画だ。また高城高・逢坂剛の両氏が好きな映画に「ジブラルタルの鮫」があるが、これまた見た事はない。
なお逢坂剛氏は博報堂に勤めていて、やはり専業作家は難しいと思っていたそうだ。だが会社を辞めた経緯はなかなか笑ってしまった。 そもそも博報堂は神田にあっていつも古本屋を利用できたのだが、会社が移転したため通うのが難しくなり、結局会社を辞めてしまったのだという。なんだか本末転倒ではあるが、会社を辞める転機と言うのはそんなものなのかもしれない。
高城高氏はデビュー当時からずっと日本推理作家協会会員だそうで、さすがに入っていてもいいのかずっと疑問に思っていたそうだ。そして河野典生氏は2〜3ヶ月前に推理作家協会を脱退したそうで、ますます脱会した方がいいのかもしれないと思うようになったとか。 だから新作を書けと池上冬樹が言っていたが、実際に短篇をひとつ書いてみたとの事である。発表のメドは立っていないというのが寂しいが…。
デビューしてしばらくは高城高も二足の草鞋でいろいろと揶揄されたのだが、最近の若い人と話していると「二足の草鞋」が良い意味になっているらしいという事を言っていた。つまり二つの才能を持つ、という事らしいが、そんな意味に変えてしまう若者というのもどうかと思ってしまう。
しかしこんな楽しいセミナーなのに、あまりにアナウンスが遅すぎる。なにせ私がこのセミナーの開催を知ったのは土曜の夜にネットで偶然に、である。本当に偶然なのだ。 主催者側も時間がなく大変だったと言っていたが、新聞、ネットだけでも全然違うだろう。しかも一部手違いで、大学側に問い合わせた人には満席だと伝わったらしい。やはりこの辺が素人集団の怖いところだ。出版社に電話しておいて良かった…。 とにかくもっと宣伝を上手にやれば、高城高の名前ももっとアピールできるのだが。
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