どんぐり1号のときどき日記
DiaryINDEXpastwill


2006年10月08日(日) 「太陽」を観る

 フォーラムまで「太陽」を観に行った。

 天皇が「現人神」ではなくなる事についての苦悩が非常に上手く表現されている。そしてイッセー尾形は実に巧みに天皇を演じている。もしかしたら天皇の行動は少しばかり誇張されているかもしれないが、観ているうちに違和感はなくなってしまう。
 とてもロシアの監督作品とは思えない仕上がりだ。

 全編を通してこれでもかというほどに天皇の日常を表わしている。数箇所笑いを誘うシーンもあって、観客からはちゃんと笑いが漏れていた。だが全体は非常にシリアスに、天皇の孤独と苦悩を表現している。明確なセリフがなくとも、映像で表わしているところが良い映画の証拠だ。

 ラスト間際、皇后が疎開先から戻り、子供も広間で待っているというハッピーエンド的状況で、玉砕放送を録音した若者が自決したという事を聞かされ、その悲しみを映像だけで表現している。本当にラストまで天皇の苦悩が実に良く伝わってくるのである。まさかああいうシーンが出て来るとは思わなかったので、ここで苦悩と悲しみが倍増してしまうのだ。

 観終わって、どうしてこういう映画を日本で作れないのか、という怒りすら覚えるほどに感動的だ。監督は、日本人より天皇の事を理解しようと努力していたのが良く判る。
 日本ではなまじ宮内庁がムダに権力をもっているだけに、天皇の権威を守る事しか考えておらず、戦後になっても天皇の人間としての苦悩と悲しみを全然国民に伝えられなかったし、現在でもそれを調べる事は難しい。まったくどういう国なのだ、日本は。
 そして天皇や一部の人間が、日本の将来を考えて苦渋の決断をし、自らの進退もアメリカに預けた、そんな日本の現在の姿がこれなのである。だから日本人がこの映画を観た場合、彼らの苦悩は結局ムダになったのではないかと思わざるを得ない、それほどに危うい映画でもあるのだ。

 そんな映画だが、さすがにロシアの監督作品だと思わせるのは、その絵作りである。ところどころタルコフスキーと同じような絵画的映像になったり、あるいは映像の温度が低いのもロシア的だ。焼け野原の東京も、どちらかといえば大陸のイメージだ。
 東京大空襲のイメージはかなり抽象的だが、これは押井監督が好きそうな描き方だ。というより、似たような事をもうやっている。やはり「映像作家」の考える事は似てくるという事なのかもしれない。

 難点としては、どうしてもお辞儀の仕方が戦争体験者ではない弱さがある。
 これは娯楽作品で言えば「海底軍艦」を見れば一目瞭然だ。こちらは戦後18年しか経っておらず、俳優に戦争経験者が多いため、軍人の演技がサマになっているのである。でもこれは現在の映画では、ある程度仕方のない事だ(ちなみにマッカーサーを見た瞬間に、「あ、若い頃のジョン・クリースだ」と思ってしまった)。

 いずれにせよ、天皇が人間宣言をし戦争責任を考えた苦悩の日常を描いた映画である。これをロシアの監督が作ったという事を、日本人は良く考える必要がある。


どんぐり1号 |MAILHomePage