どんぐり1号のときどき日記
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今日も出社。天気が良いのにもったいない。
最近はmixiで、自分の参加しているコミュを中心に色々な人の日記を読んでみたりしている。 ただし当然の事ながら自分の持ち時間は短いので、基本的に文章が上手いか、センスが良さそうな人だけを見ている。現実にほぼ9割はどうしようもないものだが、もはや500万人を突破したといわれるmixiだけあって、かなり若い人でもセンス抜群の人や、文章のまとめ方が非常に上手い人も意外と見つかる。
だが若い人の文章を読んで面白がっているという事は、自分の若い頃を重ねて補完しながら読んでいるような気がする。この場合の補完とは「自分自身への補完」である。
例えば青春真っ只中の20代の人の文章だと、当然ながら社会への不満というネタも多いが、ある事に対してきちんと考えた上での主張を出している人の文章は、総じて面白く賛同できる話が多い(少し読めば思いつきだけかそうでないかはすぐに判る)。 そして社会への不満というのは永遠の命題であって、読んでいて「うんうん、それは良く判るよ」と同意している自分がいる。良くも悪くも年の功、社会の裏も色々と見えてくる年なので、その不満に対しては「現状ではどうしようもない事だ」とか「それを解決するために、色々な人が現在動いている」とか「その件の決定システムはこうなっている」とか、いろいろと説明したくなる事もある。もちろん現在はそこまでやってはいないが。 いずれ若い人の真剣な不満には、頷けるものが多い。社会の矛盾、限界を感じるとテロに走りたくなるという考えも、賛同はともかく理解は出来る。やはり爺だけが支配している社会というのは、確実に腐敗するものなのだ。 そういう不満に対して、現在も同じ思いをもち続けている自分に呆れたり感心したり…。結局、自分の社会に対する考え方は基本的に何も変わっていないと実感するのだった。
さて、そんな事を考えつつも、自分の日記はほとんどが思いつきに近いという事に気づいてしまう。ただしここは年の功でごまかしが効いてしまうのだろうし、基本的に書くのが楽しいから、いいのだろう。そもそも嫌ならさっさと止めればいいのだから。 という訳で、当分この日記も続くのだろうなぁ。
ここまで書いて読み直したら、どうも主旨の一貫性が欠落しているような気がする。直すのも面倒なので、これについては後日また考えよう。
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