どんぐり1号のときどき日記
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2006年04月11日(火) 誕生な火曜日

 何度目かの誕生日である。真面目に考えないと思い出せなかったりして…。
 決算関係で(しかも無能な上司のおかげで)なかなか早く帰れないが、さっさと逃げ出して、なんとか今日中には帰宅できたのだった。元々早く帰れないのは判っていたので、特に誕生日のお祝い事はやらないと決めていたのだが、そういうイヴェントを楽しみにしている子どんぐりには、ちょっと可哀相だと思ってしまう。

 さて、私が生まれたのは「戦艦大和が沈んで12年後」であり、「スプートニクが飛んだ年」である。
 そして最近話題になっている昭和30年代を子供の目を通して、シビアに育った年代でもあるし、メディアの成長をリアルタイムで経験できた年代でもある。

 テレビや電話がかなり初期からあったというのが、実は意外と良い環境だったと気づいたのは、結構後になってからだ。なにせそれが当たり前だったのだから、気づかないのも不思議ではない。そのおかげで、色々な番組を見られたのは、もはや記憶の宝であると言える。サンダーバードを小学校の時にNHKの正放送で見られたのは、本当に貴重な体験であろう。
 プラモもサンダーバードを代表するITC物は、あのラジコン2号以外は全て作ったし、その他のプラモも東宝・円谷関係やミリタリーはもとより、イロモノ関係までかなりの数を作ったのである。だからプラモの歴史には強いのである。何の役にも立たないが。
 エレクトロニクス工作関係も、パーツの発達とともにいろいろと体験できたし、オーディオの発展も楽しく体験できた。
 その他もろもろの貴重な経験をしながら育ったのは、まさに30年代生まれの特権だろう。そしてこの年代だと、ロックの発達も、ほぼ黎明期からリアルで体験できたのである(ポピュラーではなくロックの事だ)。

 改めて、時代の発展をリアルで体験できたのは貴重な体験だったと思う。
 ただしそれがいい生活と結びついたかと聞かれると、それはまた別の問題だと応えるしかない。時代は上昇機運で浮かれ始めていたが、まだ戦後を引きずっていた貧しい時代だったのも事実なのである。
 それを忘れていい時代だったと語るのは、記憶を美化しているだけなのだ。まあ人間とはそういうものなのだが。


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