新知庵亭日乗
荷風翁に倣い日々の想いを正直に・・・

2003年02月12日(水) 魔性の花 筺(はながたみ)

 Shinchanの使っている小鼓の胴のうち曰く付きの花飾り絵巻の胴があります。


 小鼓の胴は淡墨桜から作られます、長い年月、厳しい冬を越した淡墨桜は春とともに妖艶な花を咲かせます。
  万葉の時代から桜は乙女の精とも言われ子孫繁栄の生命力、散る美しさの儚さは今でも人々は宴を張り歌舞音曲に明け暮れます、Shinchanは今の花見は大嫌いです、特にカラオケなんぞをやっている輩は淡墨桜の怨霊によって造られた小鼓によって呪い殺して(そこまでせーへんでもええけど)やりたいと思うのです。

 能の花筺(はながたみ)は数ある作品の中ではハピーエンドとなっています。
応神天皇から五代目の孫にあたる大迹(オオアトメ)の皇子は、越前の国味間野どいう所に居ましたが、皇位を継承するため、急に都へ上ることになリました。
 その頃、寵愛されていた照日の前は、里帰りをしていましたので、急な事情をしたためた手紙と、毎朝使っていた花籠を形見として、使者に届けさせました。照日の前は、手紙を読んで事情は分かったのですが、皇子を慕う心を抑えることが出来ず、供の女を連れて、跡を追って都へ上りました。
 都に馴れない二人は、紅葉狩の行幸の列の前を、横切って咎められ、大事な形見の花籠を叩き落とされました。その警護の役人に、花籠の由来を言って、非礼をなじりました。
 その事によって、継体天皇と名を改めた皇子は、跡を追ってきた照日前と再会することが出来ました。また、照日前は、再び元のように、寵愛を受ける身となリました。




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 太平洋戦争後、東京の隅田川沿い、上野公園に再び桜を咲かせようという計画が出されました、勿論歴史的に見ると、戦国時代、江戸時代、関東大震災、第二次世界大戦等で夥しい人達の死体が放棄されたり、焼かれたりして埋められました。
 記録によると上野公園での桜植樹の最、移動しようとした桜の根には多数のシャレコウベが絡んでいたそうです。
粟田部の薄墨桜

このサクラは、室町時代世阿弥作と伝えられる謡曲「花筺」にうたわれているゆかりのサクラとされ、標板には樹齢500〜600年とある。
 伝説によると、男大迹皇子(オオトノノオウジ)が滞在されていた時は、花は淡紅色で匂いは四方に満ちていたが、皇子が都へ上った後は、花の色が次第に薄れ、いつのまにか薄墨桜と呼ぶようになったという。

 植物化学的に言って、カルシュームを必要とする桜が人骨等骨を必要とするのは当然です。
 ある神社に奉納されている小鼓の胴の由来は・・・素晴らしく低音の迫力のある音がする鼓があったそうです、しかしその鼓の胴を求めて手に入れた、鼓打ちは後継ぎの男の子が生まれなかったり育たなかったりする因縁が付きまとうようになりました、鼓の胴彫り職人がその胴を手にいれて模倣研究により、同じような胴を作ろうとしましたが、妻娘が狂人となり跡が絶えたそうです。

奉納されている胴

 上のShinchanが持っている胴と比べて下さい、どこか似ていませんか?
淡墨桜の咲く月夜に一人 鼓を打つ 森羅万象は 耳を澄ませ 去った情念が 音とともに 滅びの宙の舞を舞い 散っていく そして
かすかな曙は 花に埋もれた鼓を 思い出させる


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Shinchandazo [MAIL] [HOMEPAGE]

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