Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2004年10月01日(金) 人の心は金で買える

非常に主観的な問題だが、結論から言えば、人の心は金で買えると思う。それはなぜか。

そもそも、人の心を金で買おうと考える人は、以下のような特徴を持っていると考えられる。

  • 人の心がかけがえのないものだという発想がない。(でなければ金で買おうとは考えない)
  • 目に見えないような心と心のコミュニケーションを信じていない。あるいは価値を感じていない。(もし目に見えないコミュニケーションを信じているなら、どれほど金を積んでも怖いはず)
  • 個性に価値を感じていない(感じていれば、こんな問題は人それぞれだとすぐ気付く)

つまり、彼らは人の心の内面を見ていない。見えていないのか興味がないのかはそれぞれだと思うが、ここで心と言っているものに、内面は含んでいない。それ以外の部分、つまり行動に表れる部分だけが重要だと思っているのだ。言葉や身体、それが心のすべてだと思っているのだろう。内面まで見ていれば、金など関係なく、相手のことを知らなければ心を買うなどとは言えないことに気付くはずだ。だいたい人間は、自分自身の心ですら理解していない。そんなものを買えるはずがない。これが一点。彼らの言う心とは、あくまでも表面的なものだ。

次に、彼らの価値基準において心の優先順位は低い。金に換えられると考える時点で心を低く見ていることは明白だ。しかし、それだけなら、金で買える人もいるが、買えない人もいるということに気付くはずだ。しかし、ここでさらに条件を加えれば人の心は金で買えるという結論に結びつく。それが個性に対する価値だ。彼らは人の心の内面に興味がないのだから、個性にも興味がない。だから、もし買えない人間がいたとしてもそんな人間など見なかったことにして、他の人間の心を買えばいい。彼らにとって心とはあくまでも表面的なもので、内面など興味がないのだから、自分に対して愛など、望む心を表現してくれる人間がいれば、それで十分なのだ。

心は表面的な言葉、感情表現がすべてであり、それさえ得られるのなら相手は誰だっていい。そう考えれば言い切れる。人の心は金で買える、と。


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