| 2002年03月07日(木) |
およげ、たいやきくん |
まいにち、まいにち、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうよ〜。
ってね、思わず口をついて出てしまいそうになる。仕事などで(仕事そのものと言うより、それに付随すること)ストレスを感ずることって、いろいろあるよね。 でも、生活の糧を得るために(やりがいとか自己実現ということもあるけど)そう簡単に仕事って辞められない。そこんとこで、みんなジレンマを感じているんだろうね、きっと。「およげ、たいやきくん」からは、そんな人々のつぶやき、ため息がイメージされる。と同時に、どんどん惨めになってしまいそうな自分自身を投影しながら歌い込むことによって、逆に失いかけた自己のエネルギーを取り戻すきっかけをこの歌は与えてくれるのだ。 私は、この歌の後半部分にある、次の一節が好きだ。
やっぱり僕はたいやきさ、少し焦げあるたいやきさ
たいやきはあくまでもたいやきであり、いつも鮫に追っかけ回されたりして、優雅な生活とは無縁である。でも、たいやきとしてこの世に生を受けた以上はたいやきとしての人生を全うしようとする「仏教的諦念」のようなものを、私はその一節に感ずるのだ。 それは、中島みゆきの名曲「かもめはかもめ」にも若干通ずるのではないか。 また、明治期の詩人・北原白秋の次なる詩も思い起こされる。
薔薇ノ木ニ 薔薇ノ花サク。 ナニゴトノ不思議ナケレド。
それぞれに浮世の辛さはありましょうが、そのなかでも自分らしくあるってことが大切なんでしょうね。他人と比較してどうとかじゃなくてね。 とまあ、日毎にいろいろと思うことはありますが、私には幸いにも夢中になれるものがある。稽古場では職場でのことはきれいさっぱり忘れているんだ。ホント、 不思議だ。 今日のところは、これまで。じゃあ、おやすみ。
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