ボランティアの授業を取り入れている小学校に今年も講師として行くことになった。
小学生(中学生でも、高校生でもいいんだけどね〜)に聴覚障害者のことを話したり、簡単な手話を教えたりすることをライフワークとして定期的に行っていきたいというのは私の夢だ。
なぜなら、私は障害者について何も知らないまま大人になった。 知っていたことは現実とかけ離れていたことばかりだった気がする。 だから、障害を持った人を「かわいそう」と同情していたと思うし、身近にもいなかったため「ドラマの世界同様、現実には自分とは縁のない遠い世界の人」と自分の生活と切り離して考えていたまま大人になった。
大人になって障害をもつ人たちと関わることになり、「障害者」の真実を知ったことを「遅すぎた」とは思わないけれど、私の運命が少し違っていたら、知らないままであったかもしれない。
もっと早く知っていたら、どうだっただろう。
当たり前のことを当たり前と思うことなく、まず生きていることに感謝して日々を過ごしたかも知れない。 例え、耳が聞こえなくても、目が見えなくても、足がなくても、常に努力し謙虚に生きている人にはまったく敵わないことを知っただろう。
障害者に対して何をサポートすべきなのか、そして彼らが何を与えてくれるのかを知ることができただろう。
学校関係での講義は、そう多くはないけれど、何校か呼ばれて行っている。 けれども、毎年ボランティアの授業を取り入れている学校はそう多くない。
今回依頼のあったこの小学校とは数年前に出合った。 私が関わる前から、このような授業を取り入れるそうだ。
最初は確か40分ほどの時間しか与えられず、伝えたいことが十分伝えられずに自分の力のなさを嘆いたものであった。
しかし、去年は一時間半くらいの時間をとってくれていた。
時間さえあれば・・・ 盲ろうという障害についても紹介したい。 私の素晴らしい盲ろうの友人を紹介して、耳が聞こえなくても、更に目が見えなくても、こんなに素敵に生きている人がいるのだと知らせたいとずっとずっと思っていた。
そして、今年。
講師の依頼あった時、ついに思い切って私から提案したのだった。 間に入っているボランティアセンターの働きかけもあり、話はとんとん拍子に進み、実現することに!!
提案するに至り、時間の延長が第一条件であった。 それも受け入れてもらえることになった。 午前から午後にかけて、私ともう一人の講師となる盲ろうAさんと子どもたちとで過ごす。 お昼も一緒に食べる。 見えない人が普通に食事をする光景をこどもたちはどんな風に見つめるんだろう。
楽しみだな〜
私が初めて盲ろうの障害を持つ人と出合ったときの衝撃と感動。 そういう人が自分の住む日本にいたなんて! 最初は驚き、嘆き、同情した。 けれど、数分もしないうちに自分の間違いに気付いた。 素晴らしい生き様、人間性に圧倒され、尊敬の念でいっぱいになったあの日。 自分を小さく思ったあの日。
あの時の気持ちをこどもたちにめいっぱい伝える架け橋になりたい!
また報告します〜♪
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