長いお別れ
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2002年02月11日(月) 私のこと*トラウマのようなもの*

私と兄は9歳の年の差があります。両親が再婚した後で私がうまれたので
半分しか血が繋がっていません。

私はこの兄と叔父と実父の3人と性的な接触を持っていました。
毎晩要求されるというようなことはなかったと思います。
たんにスキンシップがちょっと行き過ぎただけだったのかもしれませんが、
その後の私の人格形成にはやっかいな壁として立ち塞がることになりました。
私には小学校に上がってからの記憶がほとんどありまませんし、
父は亡くなり、叔父は行方不明、兄はこのことを否定しているので、
本当のことはわかりません。全部私の妄想かもしれないってことです。

中学に入って、心理学に興味を持った事で、「トラウマ」に気付きました。
しばらくは考える事をずっと止めていました。
あの時代に、そのことと真面目に向き合っていたら、今でさえこんな状態なので、
もしかしたら死んでいたかも知れないですね。若さがある分、失敗しない方法を選んだでしょう。
年令を重ねていけば、楽になるんじゃないかとおもっていました。
でもダメだった。
性的な悪戯(痴漢なども含んで)を「される方にも問題がある」という人もいます。
私にあった問題ってなんだったんだろう、今でも分かりません。

いつもいつも昔のトラウマに飲み込まれて生きてきたわけではありませんでした。
きちんと仕事をし、結婚することもできていたのですから。
それでも、どうしても忘れる事ができませんでした。
それは不意に襲ってきました。
好きな人と触れあっている時や、夜中にふっと目を覚ますような時です。
幸せになれそうになればなるほど、嫌な思い出が鮮明になっていきます。
そうして訴えかけてくるのです。「なかった事にはできないんだ」と。
好きな人といてもゆったりした気分になればなるほど、
本当は違う、こんな幸せが用意されているわけがない。
こういう思考パターンに陥っていたのでは、続くはずのものも続かなくなります。
人間関係、滅茶苦茶にしてしましまいました。
友達、本当に少ないです。

もう20年も前のことを、いつまでひきずっているつもりなんだ、と
別れる前の夫がよく言っていました。
好きでひきずってるわけじゃない。限界まで膨らんでしまって、ついにはパンクしました。
今では、普通だった頃の自分が、どんな風に笑っていたのかも思い出せません。
もう嫌だ、疲れちゃった、そう言ったところで、誰かに助けてもらえることじゃない。
自分で何とかしなければ、この痛みも寂しさもどうにもならない。
わかっていてもできないこともある。
自分だけが苦しんでいるわけじゃない、悲しんでるわけじゃない、何度言い聞かせても、
私の心は「私を見て。私を愛して」と叫んでしまう。
いつになれば、こういう事から抜けだせるんだろう。


志乃 |MAIL

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