十夜一夜...Marizo

 

 

歯車の大きさ - 2007年02月28日(水)



前にもこの日記に書いたかもしれない。

組織の中で働くということ。
歯車としての自分。


若いころ、仕事の出来る先輩が会社を辞めた。
あの先輩が辞めたらどうなっちゃうんだろう。
違う部署で働いていた私は勝手に心配をしてた。
大丈夫なのかなぁ。
あの先輩がいなくなって大丈夫なのかなぁ。

先輩が退職した翌日から先輩がいない職場は
何事もなかったように仕事がすすんでいく。

自然に。当たり前に。

あの先輩の存在ってそんなものだったのか。
・・・なんか悲しかった。
入ったばかりで仕事もろくに出来ない自分が辞めるのとは
わけが違うと思っていたのに。なにも違わない。
先輩の机には別の誰かがまるで今までもずっと
そうしていたように自然に座って仕事をしていた。


嫌だった。


自分もそういうふうに忘れ去られる事は嫌だった。
私がここに存在した証を立てるには
一生懸命、仕事をすることだと思った。


5、6年経ち、すでに中堅として働いていた頃
転勤者の送別会で、たまたま隣り合った
他部署の課長と何がきっかけでそうなったのか
覚えていないがこの話になった。


その課長は最後まで話を聞いてくれてこう言った。


「おまえの気持ちはよくわかる。自分が会社にとって
 必要な人間だったと周りから認められたいと
 思う気持ちは決して悪いことじゃない」

「ただ、会社として、組織としてはどう思う?」

「誰か一人が辞めただけで、誰か一人が休んだだけで
 仕事がすすまない組織は許されると思うか?」

「たくさんの歯車があって組織が動く。一つの大きな
 歯車だけで動いていて、その歯車が動かなくなったから
 組織が動きませんって通用すると思うか?」

「一つ欠けても、二つ欠けても、何も変わらずに動く。
 組織ってそうならないと駄目なんだと俺は思うぞ。」


〜※〜

今、ここまで書いていて
私は本当にいい職場、いい上司に恵まれたなぁと思う。
当時だって飲みの席でこんなシリアスな話は
敬遠されて仕方ないことだったのに。
娘ほどとは言わないまでも、たかが一般職の女子社員の話を
真剣に聞いてくれる上司が、あの時のうちの会社にはいた。

〜※〜


今朝の経済新聞の一面に大きく書かれた
「日興証券 上場廃止へ」の文字。

お客様が笑いながら「お宅は大丈夫?」と聞いてくる。


「わかりません」


正直な気持ちを正直に言った。


「ただ、うちの会社の社長は天下り系なんです。
 しょせんはサラリーマン社長ですから
 犯罪をおこすような権限は持ってないので
 多分、大丈夫じゃないでしょうか?」


〜※〜


人は弱い生き物だ。

自分の欠点をつかれると、それが欠点だとわかっていても
凹む、怒る、開き直る。
大学を卒業して入社した会社で、お客様からはもちろん
上からも下からも叩き上げられて
社長という権力を持ったとき、わざと欠点を指摘する部下を
そばに置くことは非常に強い意志を持たなければ無理だろう。


気がつくと自分が一番大きな歯車になってしまって
もう止まることが出来なくなってしまったのかもしれない。


一部、上層部による犯罪(とSECはみなしている)によって
大勢の社員は、次の足を乗せるはずの階段が
消えてなくなっていくのをただ見つめるだけだ。


後輩の結婚式の二次会で、新郎の元同僚として来ていた
現役日興証券の営業マンたちと飲んだことがある。
三十人も入ればいっぱいのお店の中で
まるで大学のサークルコンパ(大学行ってないから想像だけど)の
ようなパワーとノリで笑って飲んでいた顔を思い出した。


そんな一日。
Marizo


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