「L.A.S.Ponder氏」の音楽カレンダー

2011年03月02日(水) 1824年3月2日スメタナ誕生

1824年3月2日
ベドジフ・スメタナ
Bedřich Smetana[ˈbɛdr̝ɪx ˈsmɛtana]
ボヘミア北部のリトミシュル(Litomyšl Leitomischl)で
チェコ・ビールの醸造技師の息子として誕生
 1884年5月12日歿

「ヴルタヴァ」 (モルダウ) を含む
一連の6つの交響詩から成る『わが祖国』(Má Vlast)
いいでしゅね。

ただし全曲は
良く似た曲想が続くので
何度も聞くと飽きましゅ。

モルダウはすばらしいでしゅ。

Nandatte Cantabile
数年前
白亜混声合唱団OG/OB合同ステージで
混声3部合唱(一部4部)編曲版で
歌いましたが
いい編曲でした。

本格的な混声4部で歌いたいでしゅ。






卒業式
会場:総合体育館メインアリーナ

どら息子
ついに卒業。。。

3年前の15の春
県立高校入試直前に
志望校を2ランク・アップ。
見事に玉砕し
塾の先生の前で
2時間、泣き明かしたどら息子。

栃木、佐野、宇都宮のマンモス私立にも
立て続けに落ち
ようやく宇都宮のマンモス私立の
最終滑り止めに滑り込んだどら息子。

1年10組という
どん尻クラスで
4月は暗い顔して通っていましたが
素晴らしい担任、同級生、先輩に恵まれ、
気を取り直し
室長にもなり
3年生の7月まで主将を務め
何とか卒業にこぎつけました。

そして最後は
特進クラスの連中に
一泡吹かせましたとさ。。。

720名の卒業生、
保護者、
数十人の教職員、来賓、
数十人の在校生で
アリーナはいっぱい。
保護者席は壇上から数十メートルの後方でしゅ。

入学者は800人以上いたと思うので
100人くらいが3年間で
脱落したのでしょうか?

バルコニー席で演奏する
かなりハイレベルの
室内管弦楽団の演奏に合わせ
卒業生入場。。。

これが長く長く延々と続きましゅ。

何だかわからんうちに
全員起立で
しにがよ斉唱。

昔は立たないNandatte Cantabileでしたが
某県立高校教師で
チェリストのK先生から
栃木で立たないと殺されましゅよ
と忠告されてからは
立つだけ立ち、
最初の「き」の字を
「た」に変えて
適当にハミング。

美しい旋律でしゅが
難しいので
周囲にまともに歌える保護者は少ないでしゅ。

卒業証書授与式の後
各種、表彰。

調理師免許授与というのも
この学校の特色でしゅ。

どら息子も
3年間精勤賞など
3つの賞をいただく。

とにかく賞が多いのでびっくりでしゅ。

最後は
校歌斉唱
「扇げば戸落とし」
「ホテルの光」
斉唱。

長時間の着座で
エコノミークラス症候群に
なりそうだったので
立ったついでに
sotto voceで
吠えまくりでしゅ。。。

あとでカミさんから
「あんたの独唱会じゃないんだかんね」
「前の人がうるさいでしょ」
とお叱りを受ける。

そうか前の人に聞こえちゃうんだ。

最後は
室内管弦楽団の演奏する
「旅立ちの日に」
小嶋 登作詞・坂本 浩美作曲

を聞きながら
卒業生退場。

「旅立ちの日に」
何十回繰り返されたでしょうか。

卒業生の後は
来賓退場。

餃子街第九合唱団団長のK氏や
エルベ音楽院のS先生などが
退場の時に
こちらを見て
ニヤニヤしていましゅ。

もしかして
Nandatte Cantabileの蛮声が
来賓席まで
聞こえちゃったのかも・・・



式後
どら息子は
友人たちと
夜遅くまで
遊びふけっていました。


カミさんとNandatte Cantabileは
3月3日
雛祭と結婚記念日の
前夜祭
なので
夕方
真岡の
スパリゾート・フジへ。。。

ガラガラでしゅ。

室内プールは
週末だけだし、
モンゴリアンサウナは
閉鎖されてるし
寂しさが漂っていましゅ。

40分で入浴を済ませ、
洋食レストラン
迎賓館

簡単な夕食。

代行車を頼むことにして
二人で呑んじゃう。。。


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