鶴は千年、生活下手

2003年10月14日(火) おそらくは嫉妬

9月の終わりに、三人でお茶を飲み、その週の土曜日には早々と
里帰りなさった妊婦さんから、手紙が届いた。
早々と里帰りした理由は、低置胎盤ぎみだと診察されたというこ
とも有ったのだということだった。
2月にはこちらに戻って来るとのことで、その頃には我が家でも
一か月を経過することでも有るし、かなり家が近いし、いろいろ
と交流したいものである。


人は、同じ経験を持っていないと、その人の気持ちに共感するこ
とはできないのだろうか。
相手の立場を思いやって発言しているつもりでも、見当違いなこ
とを言ってしまうことだってあるのだ。
ちょうど、きわみちゃんから猫のことで電話を貰ったのに、妙な
点にこだわって言い合ってしまった時のように。
わかったつもりで、相手にひどく嫌な思いをさせてしまっていた
のではないか。

親を亡くしたものにしかわからない喪失感。
子供を授からなかったものにしかわからない焦燥感。
重い病気の身内を持っているものにしかわからない切迫感。

慰めの言葉を書き綴るのは容易いが、受け取った方はその文面や
内容から、敏感に感じ取ってしまうことがある。
ああ、この人は、本当のところをわかっていないのだなぁ。
そして、そのこと自体にも気付いていないのだなぁと。

決して、わかることだけがいいことだとは思わない。
経験したことの無いことをよくわかるという方が不自然なのだし、
ほとんどあり得ないことだろう。
想像だけで理解できるほど、人生は簡単ではない。

しかしながら、疑似体験を通してしか知らないことに対して、ま
るで本質を知り尽くしているような発言は、やっぱり相手に嫌な
思いをさせてしまうのだ。
そんなんじゃないんだよと言いたくなるのだ。
それくらいなら、自分には想像するしか無いけれどと、はっきり
言ってもらった方が、ずっとうれしいのだ。

しかしながら、それは、そういう体験をせずに暮らすことができ
る人への、おそらくは嫉妬なのかもしれない。
所詮あなたにはわからないことなのよと言う前に、自分自身のこ
と(嫉妬する感情)を見直さなくてはならないのかもしれない。

久しく忘れかけていた嫉妬という感情にこれほど手こずるとは。

今、一番羨ましいと思うことは、母親が生きているということだ。

 「孫を見せたい」そんなことではない我の思いはおそらく甘えに過ぎず
                           (市屋千鶴)


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