白洲正子の作品に、 没後に発見された、「清少納言」というのがあり。
清少納言その人や、 周りの平安びとにつき、 綴った論稿なのですが、 遺稿のまま、ある本に、収録されています。
これが、編集作業を経ない、 最初の生原稿のため、 横道があり、 遊びがあり、 まさに、書き放題。
何度もわはっと声を上げ、笑って楽しめます。
(いつもの著書には見られない、 満載の自分突っ込みも、 編集者たちが削るのを、 承知の上、それを見越し、書かれたと見えます(笑))
その、楽しい論稿に、 「遙か」的に、なるほどなぁ…と思った一文が。
たとえば美しい六条御息所にしても、 ――そう云えば紫式部の筆の冴えはずい分うまく この人を画いています。 ちょっと目にケンのある美人をすぐ思わせるほど――。 その御息所のすき通った美しさや、 個性のある字や、 才が角々しく目立つ様な所が 見える為に及第しないのです。 紫式部にしたがえば、 すべてすき通っているのはいけません。 いつも朧月夜にほのかに桜が散るのでなくては。
『白洲正子 美の種まく人』 白洲正子 p124 新潮社
…なるほど、友雅殿の曖昧さは、 平安びとに受け入れられた、 紫式部のこの趣味に、 かなっているのかも(笑)
そして、その風潮だから、 それとは別のタイプのひと、 白黒けじめのあるひとが、 友雅殿のその目には、 「おかし」であり、「いつくしむ」べき、ひとに映るのかも?
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