お能は昔、申楽(さるがく)と呼ばれ、 能役者である申楽師は、 神社に付属し、 お祭りのたびに奉納の舞を舞い、 祭りの意味を民に翻訳して見せていたそうです。
当時、申楽は高尚なものではなく、 滑稽でわい雑な物真似のたぐいであったそうですが、 けれど、 「申楽の名称は、神のヘンをとったものだ」と、 世阿弥はそういうことを言っていたそうです。
その意味で、靖国神社で見られた 奉納・夜桜能、 本殿に向かい舞台の開かれた、 野外の能楽堂でのお能は、 昔の人々がそうして野外でわいわいとはやして 見ていたものに、 いまだ洗練される前のかたちに、 あり方としては通じるのかもなあと思います。
頭上に花、空に月。
神様や、また場所柄かつて散られた人の魂も、 狂言に笑い、舞に見入ったこの夜の、 我々見物客と同じに、 一刻一刻が宝もののような、 春の時間を過ごされたのであろうかと思います。
行き暮れて 木の下影を宿とせば 花や今宵の主(あるじ)ならまし
の歌を遺した忠度の舞囃子。 (=お能から主要な舞の部分を 取り出したダイジェスト。)
絶妙な間、たたみかける滑稽な台詞に、 笑いに笑った狂言「二人大名」。
そして、海に船出した義経の一行を、 波に沈めんと現れた怨霊・知盛の、 きらきらしい衣装での猛々しい舞が、 見ているうちにどんどんと哀しく思われた「船弁慶」…
幼い子方の演じる義経が、 哀れな知盛にえいえい斬りつけ、 また弁慶が明王の助けを得、 知盛や平家の一門を波間に遠ざけるのを。
それで成仏がなるならいいけれど、 「知盛知盛かわいそう…」と、 橋掛かりへ消えてゆく、 彼の背を見送り、思わずほろりとなりました。
桜の花の屋根の下、 めったとない、美しいものを見せていただきました。
花の主よありがとう。
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