「隙 間」

2012年08月11日(土) 特別阿保列車〜土佐編その一〜

夏、真っ盛りである。

世間は盆休みということで、田舎へ帰ったり妻子らのご機嫌とりのために、地方や都会へと奔走する。

しかしわたしには、そんなことなど興味がなく、また、因縁などもまったくない。

海だプールだとまとわりつく小僧らもいなければ、何樫さん家はどこそこにお出かけらしいとこぼしながら、嫌がらせのように毎食そうめんを出し続ける妻君もいない。

何よりもこの時期は、わたしにとってなにごとにもかえがたい重大な催し物があるのである。

「よさこい祭り」である。

今や全国各地で「よさこい」が見られるようになったが、発祥は「高知」であることを忘れてはならない。

毎年八月九日から十二日までと決まっているので、こちらの盆休みと日程がぴたりと合わなかったりするのである。
昨年はそれでぴったり一週間合わずに、わたしは断念したのであった。

今年は、かろうじて「よさこい祭り」の後半に引っ掛かることができた。

ここで簡単に「よさこい祭り」の四日間の内訳を紹介しよう。

第一日目。前夜祭
第二日目。本祭一日目
第三日目。本祭二日目
第四日目。全国大会、後夜祭

前夜祭は、昨年の受賞チームらの演舞がまとめて見られるのである。
本祭の二日間で、今年の受賞チームを決めるのである。
全国大会は、日本全国からよさこいの連(チーム)が集まり、さらに前日に決まった本祭の受賞チームが演舞する。

その三日目から、わたしはよさこい祭りを堪能する予定だったのである。

夜行バスで朝九時前に到着するつもりで、すっかり算段していたのである。

まず荷物を預けて、高知市街各所に設けられている演舞場の案内図と出番表を手に入れて、お目当ての連の予定をさらってどの演舞場、どの連から追いかけて行くかの予定表を作らなければならない。

ホテルにはまだチェックイン出来ないだろうから、荷物だけをまずは預けよう。
予定表につけるためのマーカーを手荷物の方に入れておかなければならない。

予定表を作成する場所も、確かちょうどいい何処其処のあたりにカフェがあったと思うからそこへ行こう。

その算段が、すっかり、消し飛んでしまったのである。

高知駅前に着いているはずの朝八時半だというのに、見覚えのない道をバスは走っていた。

寝ぼけまなこである。

ゴシゴシと目やにをこすり落としてみても、やはり見覚えは、ない。

「帰省ラッシュに巻き込まれ、ただ今、西宮を走行中です」

西宮。
はて、そんな地名などあったか。

ようやく脳やにも剥がれ落ちたか、どうやらまだ、淡路島も渡っていないようだということに気が付く。

「鳴門で松山方面と高知方面のバスに予定通りわかれていただくのですが」

運転手の案内のマイクが、すっかり歯切れが悪い。

「乗り合わせる他のお客様のバスが、さらに事故渋滞に遇ってしまいまして」

運転手に代わって歯切れよく説明しよう。

鳴門に我々のバスが着いたのは、朝十時前である。
本来ならば、とうに荷物をホテルに預けてカフェでモーニングコーヒーを頂いているはずの時間である。

合流する他のバスが鳴門に到着するまで一時間程度、待たなければならなかったのである。
しかもそこにはコンビニが一軒しかない。

朝食にパンとコーヒーを買い、食べながら待合所で待ち、その待合所にひとつしかないコンセントを、皆で順番に携帯電話の充電に使い合う。

やがて他のバスが到着し、松山方面と高知方面のそれぞれのシャトルバスに乗り換え、鳴門を出発したのが朝十一時半頃である。

ここから高知駅前まで、予定で三、四時間かかるのである。それは渋滞にはまったりした場合も見込んでいる。

とはいえ、もはや今回、すでにその見込みを大きく超えて、途中の鳴門の時点ですでに五時間以上遅れているのである。

信用できない。

しかし、皆、本来朝到着で予定を組んでいたのが叶わなくなったとわかり、それぞれの連絡先にその事情を説明して頭を下げたり、あきらめのため息をこぼしたりしたあとである。

わたしはバスの待ち時間の間に、演舞場の出番表をノートパソコンで調べておいたのである。
携帯電話用のサイトだと出番表まで見つからないのである。

本祭二日目は昼一時から夜十時頃までだが、受賞チーム発表とそれぞれの演舞の時間がある。
つまり、夕方四時頃から観て回ろうなどと、時間が無さすぎるのである。

よさこいの踊りは、ステージで披露するのと、通りを進みながら踊る「流し」の二通りがある。
であるから、それぞれの連のその二通りの踊りを、観なければならないのである。

とりわけ「流し」は、百人を超える大きな連など、圧巻であり、また荘厳であり、絢爛である。

しかし、街のあちこちに点在する演舞場を、お気に入りの連の舞台と流しの二種類をうまくはしごするには、なかなか時間に余裕がないのである。

結局、バスがはりまや橋にやうやう到着し、ホテルに着いたのは夕方四時前。

ああ。
荷物の紐を解くのも惜しい。

部屋の扉を開くなり、バッグをシャーッ、と奥の方に蹴り転がす。

粗暴ではしたない行為なので、紳士たる諸兄には真似される方はいらっしゃらないだろう。

主な演舞場はふたつ。

追手筋南・北(流し)と中央公園(舞台)演舞場である。
そちらでの演舞が、審査員らによる採点が行われているのである。

追手筋は高知城前から続いている大通りで、そのもう少し手前あたりに中央公園演舞場がある。

わたしのホテルから最遠の位置にあるのである。

なぜそのような位置に宿をとったのか。

以前にもお話したが、半年前に高知市内の宿は満室になるくらい、よさこい祭りの期間は宿がないのである。

はりまや橋近くに宿がとれただけでも、幸運極まりないのである。

だがしかし。

まさか八時間もバスが遅れるとは、なんたる凶運。

やはりわたしは「持ってる」のかもしれない。

凶運の持ち主――。

ところがなんと、ホテルを出たすぐ先が、「菜園場演舞場」(流し)だったのである。

やはりわたしは「持ってる」のかもしれない。

強運の持ち主――。

しかも二、三十分待てば、お気に入りの連がやってくる。
その前には、東京の知っている連もやってくるのである。

わたしは自称だが「境界線上の魔術師」というふたつ名がある。

これまで、周りの者をはらはらさせるが、ギリギリのところでなんとか帳尻が合ってしまう、また、周りに助けていただいてなんとか合わせてもらえたりしてきているのである。

実は今回の旅の直前に、嫌な予感がわたしの中にチクチクとしていたのである。

どうやらそれは、己ではいかんともしがたい事象であるバスの到着八時間遅れを指していたようである。

しかしそんなことがあっても、このように、それはとても完璧に満足というわけではないが、間に合ったりしてしまうのである。

ああ。

地方車(曲を流すスピーカーを積んだトラック)の音楽が、聴こえてきた。

全身に、鳥肌がたった。

そしてわたしは、泣いていた。


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