★悠悠自適な日記☆
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2002年09月19日(木) 私は演劇依存型人間…ではなかった。

 最近、毎日がすごく楽しかったりします。普通に学校行って、普通に授業を受けて、友達とおしゃべりで盛り上がって、時には進路の話なんかもして…そんな生活がとても幸せに思えます。

 今まで演劇部で芝居をやっていて、年中てんてこ舞いで、自分の目のやり場が台本、稽古場、部員の間でしか繰り返されていませんでした。部活以外に大切な友達はいたけど、いつもどこか芝居の次みたいな形になってしまっていて、同じ目線で向き合えていなかったのかもしれません。

 でも今は、友達と正面から向き合う余裕があります。実際は進路なんかでみんなかなり忙しいのですが、その忙しさの中にも、私はまだ友達を受け入れる袋みたいなのがあって、それが広がり続けています。正確に言えば、最近広がり始めたという感じです。もっと友達と仲良くなりたいし、色んな人と話ができたらいいなと思うのです。友達と話をする時間は勉強をする時間と同じくらい貴重に思えます。

 時々、演劇をやっている人の中で、「自分は演劇さえあればいい」「舞台の中で生きていけたら私生活はいらない」という考え方をする人がいます。結構います。舞台の上は、生まれてからそれまでの自分の生き方を全てチャラにして、自分とは違う人間として生きることができるというメリットがあるからです。その人達は舞台の上だけを自分の人生と考えてるので、私は「演劇依存型」と呼んでいます。

 私は「演劇依存型」の人達を非難するつもりはありません。演劇を生きがいとして人生を楽しめるならそれはいいことです。何が言いたいのかというと、私は最近まで、自分のことを、この「演劇依存型」のタイプの人間だと思っていました。「芝居さえあれば私は生きていける」と本気でそう思っていました。でも、そうじゃなかったんだなぁと分かるようになりました。

 ところが、最近、芝居をしていない毎日がとても楽しいのです。もちろんそれは「芝居がないから幸せ」ではなく、芝居がなくなってしまえば幸せもへったくれもないのですが、私は私生活(ここでの「私生活」は、芝居をやっていない生活のことを指します。)の中にしっかりと楽しみと生きがいを見つけています。私生活の辛い事は、芝居に逃げなくても私生活の中で解決していけるパワーがあります。

 芝居から離れて、自分にとっていかに芝居が大切な存在であるかということ、それと同時に、芝居のない生活にどれだけ目を向ける場所があったのかということ。最近それに気付いた気がします。私は舞台の上の世界と、目の前に広がる世界、どちらも大切で、だけどどちらにすがることもなく、無駄なく人生を楽しめている気がします。


嶋子 |MAILHomePage

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