2004年08月22日(日) 運管試験

受けてきました。
はっきり言って、できはわかりません。
自信を持って答えた問題であっても、つつかれると自信がなくなる。

っつかさ、日報の保管義務が、運管だろうが事業者だろうがどっちでもいーじゃねーか。
必要なとき、一年分とってあればさ。
管理者の責任とかじゃなくてさ、事業の業務の一環に組み込んでおいて、その上で事業者が責任を割り当てればいいじゃないか。
そんな小難しいこといわなくてもさ。

結局、『1年保管』だの、『3年保管』だのの数字を覚えるだけに終始してしまっている試験。
大学の試験と全く変わらない。
丸暗記のみが評価される試験。

大学の試験にせよ、運管の試験にせよ、大元は『よき人材を発掘し、同時に流れを理解しているかどうかを確かめ、ひいては公共の福祉のために役立つ人材を』という趣旨のための望まれた試験であったことは疑わない。
その試験に受かるということは、能力の証明になったからだ。
しかし、その偉大なる目的から、単純に『資格をとる』ことを目的とされてしまった試験には、向上はありえない。
そもそも、受かるための勉強は意味がないのだ。

試験の本質を見誤った人間の末路は、自尊心は持つが自制心を持たぬ、社会で生きていく上で協調性を全く持たぬくずだ。

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と斬って捨てるのはたやすい。
しかし、人間すべて同列に扱い、同じ内容のものを授けることはできない。
選別するための何かしらの指針が必要だ。
その指針が、試験であり、偏差値だった。
それが否定されてしばらくたつが、その代替として出現した指針はない。

人間を選別する上での指針で、暗記力に頼らぬものってなんかないのかね。
確かに暗記力ってのもそれは大きな才能だけどさ。
それ以外の才能について、全く測る指針がないというのもどうかと思うね。

小学生の頃にIQをはかった(らしい……記憶ないし数字もわからん)けど、それが全く生きてこないってのもどうかと思うねー。


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彩葉 [MAIL]

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