2004年05月16日(日) 偏頭痛

最近、偏頭痛がひどい。
頭痛とかは、全く縁がないものだと思ってたんだけどね。
左のこめかみの少し上が痛い。
押してみても、つぼがあるわけじゃない。ずきずきいたいというより、ちくちく痛む。
昨日はほぼ一日中痛くて、今日も朝起きてやっぱり痛かった。
ストレス性なのかね。

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ずっと感じていた閉塞感。
ずっと動きづらいな、と感じていたが理由がわかった。
それは、テレビでニュースが見られないこと。
教養番組が見られないこと。
それがおいらにとっていかに苦痛かということ。
別に、薀蓄を語りたいわけじゃない。
別に、人に対してその知識があることを自慢し、得意がりたいわけじゃない。
ただ、知りたいだけなのだ。

昨日のビートたけしの番組を見て、腹の中に引っかかっていたものがすっと流れていくようだった。
おいらがほしかったのは、「おお、そーだったのか!!」という感動。
情報の点と点が線となり、やがて面になっていく快感。
知識のピースがひとつになり一連の流れがわかる歓喜。
これは、今のおいらにとって(前からかも)何事にも変えられない感動。
これが、今まで封じられていた気がする。

もうちょっと、自分の知的好奇心の欲求に対して、正直になろうかと思う。
テレビは、電気代だけだしね。
もっとも、某サイトではテレビの情報の曖昧さと不正確さを歌っている。
特に科学番組や、UMA(ネッシーとかの未確認生物のことね)について、あまり良い評価をしていない(つまりは、番組制作者の不勉強を述べているわけだが)。
確かにその一面はあるだろう。情報を鵜呑みにしてしまうのはどうだろうか、と思ったりもする。
ひとつの情報だけを判断基準にするものほど危険なことはない。
特に仕事などの自分の生活にかかわるものであればなおさらだ。

けれど、やはり面白く情報収集ができるのは、視覚と聴覚に同時に訴えるテレビだといわざるを得ない。少なくともおいらはね。

ラジオの魅力を語る方がいる。
webのよさを語る方がいる。
彼らの言い分はすごく良くわかる。理解もできるし納得もできる。
だが、媒体の普及率を見た場合、やはりテレビが一歩ぬきんでているのだろうか。
普及率というより、使用率か。普通にすんでいるOLが、オーディオを持っていないとは思わないが、そのうちのラジオを使う率は、所有率に対して格段に低いだろう。
しかし、テレビは持っていて見ない人はいない。

PCが、家電的な意味合いでの所有率を急激に伸ばしているという話を聞く。
興味を持ったものに対しての情報検索能力は、ラジオやテレビの比ではない。

そんなことを考えると、情報の享受の段階におけるそれぞれの媒体の役割があるのかな、と思えてならない。
きっかけはテレビ。
webは追求。
ラジオは不意打ち(爆) ← 運転中にへぇと思うことは結構ある。
本は熟成。 ← 書面に残された情報は何度も、自分が納得できるまで読み直しができる。
ゲームは感性の授受 ← ちょっと言い訳

全媒体が、知的欲求の満足には必要なのかな。おいらの場合。

どーでもいいが、タイトルと内容との乖離が激しいな、最近。

PS
今、ゆずが新しい勉強を始めているが、その勉強によって得られる知識も、日本の現行法律が変わらないことが、有用の大前提だし、日本人の生活スタイル、経済状況、景気その他諸要因が全く変化がない場合に初めて100パーセント有用なものとなる。いいかえれば、それは上記の内容のひとつでも変われば、知識としては古いものとなってしまうということだ。
もし、自分の知識を100パーセント有効利用したいなら、専門の知識にとどまらず、幅広く情報を収集しなければならない。それを、彼女にはわかってほしい。
資格を取って、はい終わり、では意味がないのだ。
それは、大学もそうだし、資格試験勉強全般に言えること。
たとえ医者であれ、開業してから情報収集を全くせず、知識の更新をしないならば、それはもう医者として看板を掲げていることそのものを恥とすべきだ。
そんなことを最近痛切に思う。
昔とった何とかは役に立つ。しかし、それを使う前に古くて壊れてないかの確認は必要かな……?

ゆず『資格がそのまま使えないことは、わかってんだ、こらぁ(−−メ』
なん『は、すいません(−−;』


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彩葉 [MAIL]

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