朝食時、父親から連絡があった。 インコが今朝一時過ぎ、なくなったそうだ。 母親が動かなくなったのを確認したのが午前一時。そして、朝見たら冷たくなっていたそうな。
覚悟はしてたからね。 寂しいけど仕方ない。生きているものはいつか必ず死んでいく。 ペットを飼うというのは、新しい出会いだ。 そして、新しい出会いには、必ず別れがある。
おいらも、そのうちこの世のすべての人と別れなければならない。 けれど、いずれ死ぬ身だから、といって嘆くことはしない。まだできることあるしね。
-------------------------- ルリは、今までおいらが飼った中で、一位、二位を争うほどに頭がよかった。 まず、人の見分けがつく。 父親、母親、姉、祖母、おいら。 みんな見分けがついていた。 そして、呼び方を変える。 おいらを呼ぶときは、「なんちゃん!(おいらの実名)」と呼ぶのだ。 そのほかにも、姉を呼ぶときには姉の名を(ちと撥音は怪しかったけど)。 母親の名を呼ぶときは、母親の名を。 ばーちゃんと、親父は呼ばなかった。 恐らく、家族が呼んでいる呼び名から、個体名を認識していたのだろう。 だれも、親父を名前では呼ばない。バーちゃんを名前では呼ばない。そのため、ルリも呼ばなかったのだろうと思う。
そして、自分の自己主張をはっきりした。 二階で親父が新聞を読んでいて、母親が一階で皿を洗っていたとき。 ルリは二階に行きたいと主張し、「電気をつけろ」と要求する(鳥目だからくらいとみえないのね)。 母親が廊下の電気をつけ、父親が階段の電気をつけ、「いいよ!」と呼ぶと、一階から二階への大移動が始まる。 廊下の電気は暗い。そのため、ゆっくりと階段のところまで飛んでいき、明るくなると、一気に駆け上がる。 そんな日々が続いた。 本当に頭がよいと感心した。
一度、逃げ出したことがある。 本来、家で飛ぶときには、天井があるため、高くは飛べない。しかし、屋内で飼っているインコは、程よい高さ、というものを知らない。 そのため、舞い上がりすぎ、疲れて降りてきたところをつかまった。 おとなしく篭に戻る。 バーちゃんが鳥かごのふたが開けっ放しだったのが原因だった。
インコといえど、生き物。 かなりの知恵がある。だからというべきか、初めて飛べるとうれしいらしい。 めちゃくちゃな飛び方をする。 ほとんどアクロバットだ。 その辺も人間チックでよかった。 その一方で、うれしいとテーブルの上で両足そろえてちょんちょんとんでまわったり、とかわいい面も見せる。 携帯のストラップをくわえて、遊ぼうとしたが、携帯が重すぎ、自分がひっくり返ってしまったこともあった。ちょっと間抜けなところもある。
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思い出せばいろいろよみがえってくる。 彼が家に来たのは、おいらが高校三年のとき。 (本当の)18歳のときだ。 あれから11年。 おいらは、大学をで、社会にで、家をで、家庭を持った。 今度実家に戻ったとき、鳥かごの中には彼はいない……。
------------------------2004/1/31追記
るりは庭に埋めてもらったそう。 頭をかるくさわさわされてはうっとりしていた、プラスチック製の止まり木に つけられていた鈴。 あまりに吐き戻しのえさがいっぱいついたため、胃液で半分溶け出していた。 るりは、お気に入りのそれをもって旅立っていったそう。 幸せだったんだろうね。 実家の母親にそう声をかけておいた。 ただ、死ぬ最後まで、外に出て、みんなとともにいたかったようだが……。すべての生き物は老衰で死ぬときの、自分の死期がわかるようだ。 別れを告げたうちのペットは数多い。 自分で自分の存在を認め、周囲に知らしめて、お礼を言って死んでいく。 それって、幸せの証明じゃないかな。そう思えてならない。
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