| 2003年11月08日(土) |
どこまで認めどこまで疑う? |
友人が、連絡が取れなくなって五ヶ月。 携帯も突然通じなくなり、家の電話も出なくなった。 持っているHPにも、反応がなくなり、一体何があったのだろうかと、ゆずと二人で心配していた。 そんな時、彼らの掲示板に、荒らしとも取れる書き込みが。
『××は、窃盗により追起訴された……』
逮捕されてるんかい! しかも窃盗!!? 離婚したとか、過労で入院したとか(話では、めちゃくちゃ過酷な勤務状況だったという)いろいろ心配していたのだが、まさか犯罪起こして逮捕されてるとは。
ゆずはめちゃくちゃショックを受けていた。 何しろ、仲間以上だと思っていた存在が、夫婦ともども犯罪犯してつかまっているから。
しかし、おいら自身は取り立てて驚きはしなかった。 ふーん……、という程度。 おいらが変なのは自認している。 友達が犯罪を犯そうが、親が犯罪を犯そうが、あまり驚かない。 そこには、おいらの小心さが垣間見える。 というのも、いつ、大切な人から裏切られても大丈夫なように、常に心の準備をしているからだ。悲観主義者って言えば悲観主義者かもしれない。 ただ、普通の悲観主義者と違うところは、「私は、大切な人に裏切られた。もう人間なんか信じられない!」とはならないところ。 犯罪を犯そうが、裏切られようが、友達は友達。親は親。ただ、その付き合い方が変わるだけ。極端なことを言えば、おいらに迷惑がかかってこなければ、別にいい、という考え方。 迷惑をかけてきた相手は、付き合い方を変えるか、付き合わなくなるか、とことん潰すだけ。
今回の件を必死になって裏を取ろうとしたのは、ゆずが気にかけていて仕方がなかったからだ。彼らは犯罪を犯しているのか、それとも、犯していないのか。 そこのとこを明確にしてあげたかっただけだ。 実際犯罪を犯していたとしたら、それはいつしかわかることだし、自分で気持ちの整理をつけなければならない。 犯していないのならば、不当な揶揄に対して、彼らが立ち向かう手伝いをする心の準備をさせてあげる必要があるかもしれない。
オンライン新聞には、もう記述がなかったが、GOOの検索ロボットが残した過去ログに、該当記事が残っていた。 それを読むと、住所も年齢も、名前までも合致。もう疑う余地もない。 しかも、書いているのは無職。過酷な勤務はどうしたぃ?(−−; 正直、彼らのどの状況までがうそで、どの状況が本当なのかはわからない。 おいらたちと話していたときには、まだ働いていたが、リストラに遭い、今までは片手間にやっていた窃盗を、生活維持のメインにせざるを得なかったのか。そして、その結果、つかまった瞬間は『無職』であったのか。
一方的に絶望し、相手のことを見下すことは簡単だ。 しかし、おいらは聞いてみたい。 一体、どこまで本当で、どこまでうそだったのか。 おいらたちと付き合っていたときに、おいらたちをどう思っていたのか。 ついてしまったものの、おいらたちとの中を壊したくなくて、結果的に嘘をつきとおしてしまったのか。それとも、単純に虚言癖の標的の延長においらたちがいただけなのか。 ゆずのために一生懸命彼は動いてくれたこともあった。彼と電話で話したこともあった。友人を心配する彼の言葉は本物であったと信じたい。
誠実の中に一瞬芽生えた(この一瞬は、期間はあまり関係ない)悪魔がしでかした犯罪なのか、それとも、嘘偽りが、偶然光の屈折によって真摯に見えただけというただの幻なのか。
-------------------------------- 犯罪なんて、誰もが犯す可能性はある。 明日、おいらが殺人犯になるかもしれない。明日、おいらが窃盗犯になるかもしれない。 かっとして、相手を突き飛ばした瞬間に、相手のバッグの紐がおいらの手に引っかかっていたとして、突き飛ばした相手が泥棒!と叫べば、すでにおいらは強盗なのだ。 経過は関係ない。結果だけがそれを物語る。
犯罪が犯罪足りえるのは、国家が人民を統治するのに楽な方法を法律としていて、それに逆らったものを犯罪と定義しているから。独裁・専制政治・民主主義・社会主義。体系はいろいろあるが、基本的にはそうだとおもう。 その背景には、人徳だの、権利だのいろいろあるが『国家の利益のためには個人の権利は制限されることがある』という条文がある限り、この性質は変わらない。そして、国・社会を円滑に運営するためには、約束事はなければならない。
『人が人を裁くのはおかしい』という発想はそもそも間違っている。人が集団で暮らすために、ルールを決めましょう、これを破ったらそれなりの罰を与えることで、何とか統制を取りましょう、といっているのに、人が人をさばく資格はない、と言い出したら、そもそも、人は社会生活を営む資格がない、といっているのに等しい。 そういう人は、どうぞ山奥で一人で暮らしてください、とおいらは言いたい。山奥で狩猟生活を営み、権利も義務もない、猛獣の生活を続けてください。腹が減ったときに喰い、眠いときに寝て、やりたいときにやる。その代わり、いつ襲われても誰も助けてくれないから、せいぜい強くなっておいてください。
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人間って、正直汚い。 友達とか、親兄弟とか、ご近所さんとか、そういうつながりのない赤の他人に対しては、大いに冷酷になれる。 それは何も、知らない人の財布から金を抜き取るのに罪悪感を覚えない、とか、見ず知らずの女なら、犯してもかわいそうだと思わない、という表立った悪事に限らない。 ホームで喧嘩をして、一方的にやられていようが助けない。その結果死んでしまっても関知しない。というより気づかない。 そういった、無知や無視ということを平気でできる人間も、おいらは冷酷だと思う。 今で言えば、インターネットを介しての、匿名での特定個人の揶揄。あれ、汚いよねー。そういうことをできる自分をいやだと思わないのかな。思わないんだろうなー。 おいらたちが個人情報を出さないのは、それを利用していたずらをする人がいると困るから。しかし、それを逆手にとって、やりたいことをするんじゃ、卑怯以外の何者でもない。 (といいつつ、透明人間になれたら、女風呂に忍び込んでみたいとおもってるんですが(^^;でも、透明人間に乗じて、見ず知らずの女を犯したいとか、そういう発想はないのがまだ救いか)
別に道徳をとこうとするつもりはないけど、ATMでやり方に困っているばーちゃんがいたら、やり方がわかれば教えてあげればいいんじゃない? たとえ見ず知らずであっても。自分ができる範囲で。 また、会社もひどいんだよね。人助けをした結果遅刻しても、会社はそういうものは一切見ないからね。ただの『遅刻』。そして、助けてもらったほうもさっさといなくなっちゃう。 それであれば、人のために動くより、自分の保身に走るのは仕方のないこと。
ルールとか、社則とか、法律とかじゃなくて、自分の気持ちに正直に生きたほうが、おいら的には後悔がなくていいと思うんだけど、どうだろうか。 おいらが悪さをしないのは、悪さをする自分がいやだから。ただそれだけ。ほかの人のことは関係ない。でも、それでいいんじゃないかなって気がします。
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話を戻すけど、彼には、きちっと説明をしてほしいな、と思ってます。 無理かもしれないけど。
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