うちのガス馬車御者の年代は、結構綺麗に分かれている。 分けると以下の通り。
・六十台前半 ・五十台中盤 ・四十代後半 ・二十代後半
となる。
六十代前半が、やくざ上がりの人であり、大型ガス馬車御者であり、旅行屋さんだ。 五十代後半が、喘息フィリピーナ、嫁さんチャイナ、ゴリさん。 四十代後半が、糖尿病。
今日は、糖尿病と、詰め所当番。 そこで出た話は、六十代前半の話。
六十代前半の人間は、人に物をあげたがる。 しかし、自分は物を受け取らない。
これは、みなに共通する。 これについて、理由はあるようだ。 彼らが子供の当時、ものがあまりなく、親からモノをもらうことがなかったらしい。 その彼らが成長するのに比例するように、日本の経済も成長していく。 彼らの所得も、右肩上がり。 いつしか、彼らは自由に物を買えるようになり、父親を超えた気になっていた。 (確かに、彼らの言葉を聞くと、父親を超えたと、自慢するように取れる発言が多い) 自分で何でも買えるのが自慢の彼ら。 そんな彼らがモノをもらうのは許せない。 というより、物をもらうことを「恵んでもらう」と捕らえるきらいがある。 物をもらうのは、彼らの中で、失敗して一財なくしてしまった人間が、お情けで分けてもらう、という認識なのだろう。 (裏を返せば、何事も金で解決しようとするのが彼らの年代の特徴) 口ではなんといっても、その態度は消しようがない。 そして、彼らは、しきりに『金さえ稼いでくれば、女と遊ぼうが、ばくちを使用がかまわない』を口にする。 金に魂を売った世代。
『傲慢』
おいらが彼らから感じる印象。 そして、金をやりすぎるがゆえに、彼らの子供たちの代が借金が多い。 現にうちのガス馬車御者の連中も、息子が大金を借りて使い込んでしまった人間は半数くらいいる。 親の介護に、金だけ出して満足している人間。 彼らの子供が欲しかったのは、金ではなく、愛情。 彼らの親が欲しかったのは、金ではなく、孝行。
彼らはいつ気づくだろう。 自分たちの傲慢さに。 金は必要だ。しかし、金だけではどうしようもないこともある。 それを子供たちに教えられなかった自分たちの失敗に。
おいらのこの凝り固まった考えを、否定してくれるくらいの六十台の人間の出現を切に望む。
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