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1988年04月03日(日) 選手紹介 1988年度組 (後編)

--- 7月〜3月生 --- ←4月〜6月生
▼町田 朋弥  1988.07.30生 [176cm/65kg] FW 「マチ」
  静岡・井宮FC→清水Jrユース (静岡籠上中) →清水ユース (静岡南高)
  U-15日本代表・U-15ストライカーキャンプ・東海クラブ選手権優秀選手・静岡選抜 (03年)

 決めてくれ、エースストライカー。Jrユースではナイキ杯以来、誰と組んでも、得点を決める役割を自他共に認める存在だった。しかし、小学生の時は静岡FCに選出されていない無名の存在。が、中3春にU-15代表に大抜擢されると周囲の評価も一変し、様々な選抜の場に呼ばれるようになった。昇格当初は主戦を張っていたが、怪我人の復帰と本人の怪我で出番を減らす。2年目も交代出場が続いたが、Jユース杯後半戦から先発の座を手にし、ラッキーボーイ的活躍で同大会の優勝に貢献。そのまま3年目も先発の座をつかんだが、なかなか結果を残せず、早い時間帯に途中交代を強いられることも多かった。

 兄の健好 (元清水JY) はポストプレーヤーだったが、弟はひたすらゴールを狙う。シュートのためのポジショニングと、シュートを撃つ意志と、シュートを外しても気にしないお調子の良さを持つ、とってもストライカー。殊にニアに飛び込む動きと、シュートリバウンドに備えてGKの前に飛び出る動きに優れる。しかし、最近になってプレー幅を広げ、サイドに流れるなど得点の起点となるようになった。素早い判断とダイレクトプタッチを得意とし、フィジカルも人並み以上ある万能型選手であり、この方が適正があるだろう。
 万能型選手の常として、これぞという武器がないというところがある。「得点力」が最大の武器といえるだろうが、町田の得点は周囲との連携で奪うもののため、攻める時間が短くなるとどうしても消えやすい。トップを目指すのならば、もう一つ単独で局面を打開する力がほしいところであったが、ロングボールを多用した高3時のサッカーでは、残念ながら結果を出せなかった。


▼岩本 大  1988.09.09生 [180cm/70kg] CB 「マサ」「マサル」
  清水FC/有度二SSS (清水有度二小) →清水Jrユース (清水七中) →清水ユース (静岡市立高) →中央大
  U-16NTC (04年)、U-15日本代表・U-16/14NTC・メニコン杯選出&クラブ選手権優秀選手・静岡選抜 (03年)
  U-14日本選抜・静岡選抜 (02年) 、静岡中東部選抜 (01年)

 03年度清水エスパルスJrユース主将/ 06年度清水エスパルスユース主将。中2にクラブでCBのバックアッパー、日本選抜としても経験を積み、翌年、クラブ選手権・高円宮杯共に最少失点を誇った堅守の象徴となる。昇格後、いきなりDFリーダーの役割を担うが、村越・佐野克が怪我から復帰した後は出番を減らした。2年目も当初、不動の3バックの一角となるが、最後の2ヶ月に4バックへシフトすると、またも出番を減らしている。主将として臨んだ3年目も、夏頃から下級生にポジションを譲る形で終わってしまった。

 攻守に驚異的な判断速度と視野の広さを発揮する。ボールを奪いに前へ出たと思えば、前後左右を広く応対するカバーリングで、着実に穴を塞いでしまう。だが、真の驚異は、殆ど全てダイレクトで処理する判断速度。クリアボールを一気に前線に当てて、一発で局面を転換しようとする。パスだけでなく、機を見れば大胆に攻め上がり、ゴール前の場面に絡む。ポジショニングに難を抱える佐野克とのコンビは、正に好一対であった。こうした知的なDFだが、試合中は常に声を張り上げ、チームを奮い立たせる闘将。筆者は、高円宮杯敗戦での岩本の涙を忘れられない。
 課題はフィジカル面の脆さ。特にスピードにも難があり、ドリブラーに対して簡単に一方を切って逆へ切り返されて突破されることが多い。なまじ判断が良い分、相手のミスを待ってそれを奪う癖がある。2年の時、中央ではなく敢えて右ストッパーで使われたのは、その克服を求める指導陣の期待の表れだろう。しかし、ミスを犯す確率の少ない相手=プロに上がるなら対戦を避けられない相手に対し、能動的に体を当てて奪う守備ができなかったことが、プロ育成機関であるユースチームでの出番減に繋がった。あと緊張しやすいタチらしく、一発のパスを狙い過ぎて相手に当ててしまったり、落ち着きのないプレーも多い。


▼池田 康彦  1988.09.15生 [169cm/62kg] CH 「ヤス」
  FC島田/初倉FSS (島田市初倉小) →清水Jrユース (島田初倉中) →清水ユース (静岡学園) →阪南大
  U-16NTC (04年)、U-15日本代表・U-16/14NTC・メニコン杯選出&クラブ選手権優秀選手・東海クラブ選手権優秀選手・
  静岡選抜 (03年) 、U-14NTC・静岡選抜 (02年) 、静岡選抜 (01年)

 ナイキ杯の時の主将。中2の頃から完成度は高く、一つ上の学年に交じって先発に割り込んだ。最終学年では主将を岩本に譲ったが、変わらず声とプレーでチームを牽引。ユースでも、前年の二枚看板ボランチ、枝村と山本真の負傷もあって定位置を掴むと、彼らの復帰後もポジションを譲らずに最長の出場時間を誇り、1年目にしてチームの重心を司る。しかし、2年目は柴田・高野、3年目は前田と、コンバートされた選手の前に出場機会を失った。

 好きな選手が、マケレレ (しかもレアル時代) という、実に渋い選手。池田自身もよく走り、泥臭く体を張り、共にボランチを組む選手の攻撃力を遺憾なく発揮させた。169cmと小柄ながら、90分間動き続けるスタミナ、周囲の流動的なポジションに惑わされずに急所を見極める戦術眼、大型選手の突進を正面で受け止める勇気は、それを補って余りある。ゴールが決まれば真っ先に喜びを分かち合い、敗戦に打ち拉がれる選手に駆けつける、そんな真っ直ぐな精神がとても素敵。
 そんな池田の課題は、臨機応変さ。チーム戦術に従って「スペース」にパスを出すことはできるのだが、周囲の状況をよく見て正確に「選手」にパスを繋ぐことを苦手としている。体格の問題もあってキープ力に欠ける時があり、素早いプレスを受けて慌ててボールを失い、相手のショートカウンターを許してしまうことも。Jrユースからユースへ、とりわけトップを目指すという視点から見た場合、より厳しくなるプレッシャー下で要求される技術を満たせられなかった。


▼桑原 彬  1988.10.27生 [174cm/62kg] RB・CH 「アキラ」
   清水FC/有度二SSS→清水Jrユース (清水七中) →清水ユース (清水東高)

 双子 (実は女の子を含む三つ子) の桑原兄弟の兄。利き足は右。有度二では、2人でボランチを組んでいたそうだ。Jrユースでもボランチでプレーしていたが、渥美の怪我もあって、右SBに転向。今度は、双子で左右対照のSBを組むことに。秋以降は、怪我から復活した渥美にポジションを譲ることも多かったが、無事に昇格を果たした。1年目は右SBとして、渥美と二番手争い。2年目終盤に4バックを採用されると再び渥美を右SBを争い、Jユース杯決勝トーナメントからレギュラーを掴んだ。3年目にはチームの方針がなかなか定まらない中、再びボランチを務めるなどしていたが、夏の大会を最後に引退している。

 元々ボランチだったこともあり、視野が広く、柔らかいキックを持ち、パス出しにセンスを伺わせる。後方に位置してアーリークロスで狙いつつ、前方の動き出しに巧みに合わせてきた。カバーリングにも優れ、CBの裏をケアできる。最近になってドリブルに力強さを増しており、前方の状況に合わせて縦に裏へ抜けたり、中に切れ込んだりするようになった。一方、コンタクトに脆さがあり、ドリブラーと対峙すると強引に押し切られてしまうことがある。攻撃面では、相手を抜くためのスピードやフェイントも、磨きを掛けていきたいところだ。


▼桑原 卓哉  1988.10.27生 [173cm/65kg]  LB・LH・CH 「タクヤ」
  清水FC/有度二SSS (清水有度二小) →清水Jrユース (清水七中) →清水ユース (清水東高) →東北大
  メニコン杯選出・東海クラブ選手権優秀選手 (03年) 、静岡中東部選抜 (01年)

 双子 (実は女の子を含む三つ子) の桑原兄弟の弟。利き足は左。有度二では兄とボランチを組んでいたが、清水入り後はサイドプレイヤーに。ナイキ杯で10番を付けたが、小出・佐野克の2人のレフティを前に先発を確保できなかった。しかし、佐野克がCBにコンバートされたのに伴い、Jrユース最終学年で左SBのポジションを取るや、ユース昇格1年目から同ポジションで定位置を確たるものにし、2年目には4バックでも3バックでも、左SB・左WBとして不動の存在。この2年間の出場時間は、同期の中で最長である。当然、3年目もレギュラーを務めるが、安定しないチーム事情の中で中盤の様々な位置を務めることになり、自身のパフォーマンスも安定しないまま、夏で引退してしまった。

 兄と対照的に、競り合いの強さとドリブルが持ち味。特に評価したいのは、体のバランス感覚。相手は止めたはずなのに、こぼれ球を先に拾われて結果として抜かれてしまう。守備でも交錯した際に体勢を崩さないので、こぼれ球を拾って奪取できる。それを抜きにしても、足下深く入れるドリブルは脅威であり、中に切れ込んでサイドに回る味方を使うと思えば、するするとPA内まで侵入することも。左足のキックは微妙な変化をする球種が豊富で、クロス・シュート共に正確。ボディバランスに並ぶ隠れた長所が、スタミナ。最長の出場時間がそれを物語るが、試合中にも終盤になるにつれてプレーエリアを広げていく。逆サイドからのクロスへの守備など、ポジショニングも良い。
 コンタクトには強いのだが、瞬間系の運動能力は並程度であり、フェイントに引っ掛かって置き去りにされることがある。また、キックのパワーも今一歩で、サイドチェンジなど大きな展開やシュートの威力が足りない。その能力、実績から言っても間違いなくトップ昇格の有力候補だったのだが、国体選抜招集後にめきめきと自覚を増していった隣の佐野克に比べ、最後までリーダーシップを発揮することが殆どなかった。学業の面も含め、プロ向きではなかったのかもしれない。


▼神田 和哉  1989.02.05生 [172cm/64kg] CH 「カンチャン」「カンダ」
  藤枝FC/青島SSS→清水Jrユース→清水ユース (静岡学園) →青山大
  U-14NTC (04年)

 早生まれ保存委員会指定選手。エスパルス支部は、杉山浩・仁科の後に存続の危機に陥っていたので、彼には感謝の意を拭えない。中3夏のクラブ選手権では、消化試合の広島戦を除けば5試合で僅か5分の出場。それが大きく成長して秋にはCHの一角を占め、次の春にはU-14NTCに選出と、実に早生まれ選手らしい経歴を持つ。ユース昇格1年目は出番が全くなく、2年目もその状態が続いたが、Jユース杯F東京戦で負傷の高野に代わって出場すると、続く準決勝・決勝に先発して優勝に貢献。しかし、3年目には揺れ動くチームにあって確たる結果を残せず、出場時間もポジションも安定しなかった。

 元々は非常に小さな選手で、その体格故にフィールドに転がされることが絶えなかった。しかし、多彩なキックを装備し、特に浮き球を処理する際のボールとの一体感は、ファンタジスタの名に恥じない。ダイレクトタッチが多く、パスの方向は広角度で、ゴール前のアイデアに恵まれている。ここ数年で大きく成長したのは守備面で、豊富な運動量で体を張り、ボールを持ち運ぶ動きで潤滑油としての機能を果たす。とはいえ、フィルター役を務めるには、体の強さはまだまだ。意外性のあるプレーも良いのだが、場面に応じた確実なプレーも要求したい。


--- Jrユース在籍選手 ---
渡邉 友基  DF 1988.04.07 170/58     清水FC/岡小SSS→清水JrY→静岡学園高
望月 雄介  FW 1988.04.14 169/58 ○◎● 静岡・南藁科SSS →清水JrY→静岡学園高
村松 武  MF 1988.04.19 166/47     焼津JFC/竜南ファイターズSSS→藤枝北高、※U-12NTC (00年)
村越 浩佑  MF 1988.06.11 167/49     静岡FC/港SSS →常葉橘高
遠藤 慎也  MF 1988.09.05 165/56     清水FC/興津SSS→清水東高
西村 嘉章  MF 1988.12.26 170/56     静岡FC/宮竹SSS→清水JrY→玉野光南高、※U-12NTC (00年)
北川 貴史  GK 1988.12.15 174/68  ◎  清水FC/飯田ファイターズSSS
志村 恭輔  DF ----.--.-- 171/51     清水FC/有度二SSS→清水JrY→清水七中→清水東高

 ○は02年7月ブラジル遠征登録メンバー、◎は02年8月クラブユース選手権登録選手、●は03年11月高円宮杯登録メンバー。身長・体重情報は、03年クラブ選手権・高円宮杯のもの。


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ひかる。 @H.P. [MAIL]

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