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1988年04月02日(土) 選手紹介 1988年度組 (前編)

 ちなみにJrユースでの基本布陣は、こんな感じ。

ナイキプレミアカップ (中2):     中3 (2003):

−−−−−−町田−−望月−−−−−− −−−−−−町田−−長沢−−−−−−

−−小出−−−−−−−−−−小泉−− −−小出−−−−−−−−−−小泉−−

−−−−−−池田− 桑原彬 −−−−− −−−−−−神田−−池田−−−−−−

− 佐野克 −渡邊−−岩本−−渥美−− − 桑原卓−佐野克 −岩本− 桑原彬 −

−−−−−−− 山崎晃 −−−−−−− −−−−−−− 山崎晃 −−−−−−−

 渡邉友基・望月雄介は静岡学園に進んでいる。

 昇格後の布陣は、こちら(高1高2


--- 昇格 ---
▼佐野 克彦  1988.04.30生 [181cm/65kg] LB・CB 「サノ」
  焼津JFC/焼津西SSS (焼津市西小) →清水Jrユース (焼津大村中) →清水ユース (静岡市立高)
  U-19日本代表 (06年)、U-17日本代表・静岡国体少年選抜 (05年)、U-16NTC (04年)、
  U-15日本代表・U-16/14NTC・静岡選抜 (03年)、U-14NTC・静岡選抜 (02年)

 スピードのある現代型DF。中2から一つ上と交じり、レギュラーLBとして全国大会を経験する。中3の春先から本格的にCBへコンバート。以後、岩本と共に、清水の堅守を象徴する存在となった。昇格後は怪我もあってやや遅れたが、監督交代後に望月監督代行の下で1年目から左CBの定位置を掴み、高2では3バック・4バックに関係なく不動の存在に。石垣との強固な守備でJユース杯優勝の原動力になる一方、国体ではLBとして活躍。高3では年齢的に1つ上のU-19代表に呼ばれて左SBの座を争ったが、最終選考には落選した。チームではチーム事情から左SB固定とはならず、CBとして若いDFラインの中で孤軍奮闘する姿が目立った。このように、実はLBで起用された時間は長くないのだが、昇格後期待されているのは、間違いなくLBとしてであろう。

 恵まれた体格に加え、ジャンプ力を含めた瞬発系に強い。そのため、質量×速さの2乗に比例した猛烈な運動エネルギーをもって、対地対空共に相手を吹き飛ばす、力強い1対1を誇る。走れるタイプであり、前に出ながらや戻りながらの守備を得意とする。足下の技術も確かで、逆サイドを意識した視野も広く、強力なパワーを宿した左足のロングフィードで50M先を狙う。プレースキックを担当するように、インに掛けて鋭く曲げるクロスボールも配備。その左足の技術は、FKから直接ゴールを奪うほど。攻撃参加を好み、スピードを活かして遠い先のスペースまでダイナミックに駆け上がるだけでなく、大胆なフェイントで相手を抜き去ることも。国体参加後は自覚を増したようで、自発的に味方に対してコーチング (精神面も含めて) するようになった。
 ただ、ポジショニングの判断に課題があり、守備でのカバーリングが非効率的。時々集中を切らして、裏をとられることがある。ユースレベルでは、少しぐらい反応が遅れてもあっという間に距離を詰められるスピードがあるだけに、むしろ課題の克服に時間が掛かった。高3では唯一の3年生としてDFラインを引っ張る役目を任されることも多かったが、石垣や岩本のようなDFリーダーが他にいた時に比べ、明らかに彼自身のパフォーマンスは落ちていた。また、競り合い自体には全く問題はないが、その後のヘディングのコントロールは磨く必要がある。実際、恵まれた資質に比して、得点が少なすぎる。


▼長沢 駿  1988.08.25生 [189cm/70kg] FW 「シュン」
  清水FC/飯田ファイターズSSS (清水飯田東小) →清水Jrユース (清水飯田中) →清水ユース (静岡学園高)
  U-19日本代表 (06年)、U-17日本代表 (05年)、U-16NTC (04年)、U-16/15日本代表・U-16NTC・メニコン杯選出・静岡選抜 (03年)
  静岡選抜 (02年) 、静岡選抜 (01年) 、U-12NTC (00年)

 清水FCの元エースFW。ナイキ杯のメンバーから漏れて一時期、世間の注目から外れたが、その1年後のJrユース最終学年、長身CHとして全国の舞台へ再登場した際には、10cm以上も背を伸ばしていた。U-16/15代表にも選ばれ、中3秋から遂にFWへ復帰。ユース昇格後はFWに固定され、徐々に出場時間を延ばしていくと、2年目のクラブ選手権での奮戦で自信を深める。一方、SBS杯の静岡選抜に選ばれながら国体直前に落選する屈辱を味わうが、それをバネに発憤した長沢はエースとして覚醒。Jユース杯で16点 (うち10月からの9試合で15点) を稼ぎ、得点王として優勝に寄与した。しかし、高3では春先こそゴールを量産していたが、徐々に前線で孤立して空回りする姿が目立つようになり、U-19代表にもアジア予選直前で落選。ただ、課題だったパワーはつけてきており、これからプロの世界で通用するか挑むことになる。

 中学生時代、長身をあまり活かせないCHで育てられたことが、彼の器を大きくした。判断の速いポストプレーは最大の強みで、バックパスや左右への展開だけでなく、スルーパスの狙いやゴール前のワンタッチプレーなど、視野が広い。中盤でプレスをいなした経験から、長い手足と柔らかい足技を駆使して足下にキープができ、懐の広さはポストでは勿論、シュートの前のトラップにも活かされる。かと言って典型的なポストプレーヤーではなく、走りながらのパスや裏に抜け出す動きも得意としている。これも、MFとして走らされた実績の賜物だろう。ミドルシュートもある。
 一方で苦手とするのが、FW的なプレー。だいぶ改善されてきたとはいえ、姿勢と目測に難があり、空中戦の競り合いに弱い。速いパスをダイレクトで合わせる際の精度に欠けている。シュートの威力も不足している。克服すべき課題は数多とあるが、それを全て満たすことができれば、日本を代表する選手になるだろう。高3の時、行徳監督は意図的に長沢の頭を狙ったロングボールを多用させ、長沢に得意のパスサッカーではなく、空中戦を強いた。チームとしては結果が出なかったが、長沢にはこの経験をプロの世界で活かしてほしいものだ。


--- 4月〜6月生 --- →7月〜12月生
▼渥美 直人  1988.04.13生 [166cm/61kg] RB・CB 「アツミ」
  静岡FC/麻機SSS→清水Jrユース (静岡観山中) →清水ユース (静岡東高) →静岡大
  静岡選抜 (03年)

 運動能力に秀でたサイドプレイヤー。中1から中2にかけてのナイキ杯では、不動のレギュラーを務めたが、怪我もあって、中3夏のクラブ選手権では先発から外れてしまう。しかし、大会後にCBも務めるなど、忠実にポジションの穴埋めの役割を果たした渥美は、冬の高円宮杯では、再びRBのレギュラーとして4強に貢献した。昇格後も、同じくRBを桑原彬と争っていたが、行徳監督の選択から桑原彬が引退した後も1年生の望月卓にポジションを譲る。しかし、CBやRHも務められるバックアッパーとして、最後まで貴重な存在だった。
 運動能力、特に爆発的な瞬発力があり、スピードとジャンプ力で背は低さの補い、10cm以上高い相手を対空迎撃する。精神的に強く、攻めては意欲的にチャレンジを繰り返し、守っては削り合いに挫けない粘りがある。適性は間違いなくSBの方で、スピードを活かしたダイナミックな攻め上がりが持ち味。アウトサイドを多用したキックは面白く、低い位置からも積極的にアーリークロスをPA内に放り込む。ただ、一列前に小泉などのドリブラーを置いた場合、スペースを消し合う場面も見られる。良いキックを持っているが、それ故に中の状況を見ずに手前勝手なクロスを上げる時があり、よく行徳監督から注意されていた。


▼小泉 慶治  1988.05.01 [167cm/59kg] RH・FW 「ケイジ」
  清水FC/興津SSS→清水Jrユース→清水ユース (静岡学園) →専修大

 突貫系サイドアタッカー。右SHの位置からの高い突破力が特長で、この学年の切込隊長を務める。疲労骨折の疑いで中3夏に出遅れた以外は、常に主戦を張ってきた。昇格後すぐに交代の切札の一人として出場機会を手にすると、2年目にはレギュラーの座に納まった。3年生では不動の存在になるが、長沢にロングボールを蹴り込む戦術の中で得意のドリブルを繰り出す機会が減り、むしろ守備での惜しみないプレスが目立ったほどだった。

 スピードとアジリティに恵まれ、切り返しから縦に加速する動きは、分かっていても止められない怖さがあり、2・3人程度なら軽く振り回す。ボールと一体感があり、足下からボールが離れないフェイントを武器に、一度止まった状態からも勝負を仕掛けられる。潰されても潰されても、何度でも勝負を挑む勇気も、称賛に値するだろう。テクニックも高く、特にクロスは、相手を抜き去って上げるせいもあるが、実に精妙。ダイレクトで合わせるボレーも得意で、第3のFWとしての役割も果たす。
 切り返しがやや大きくなりがちの傾向があり、途中で大きい相手に体を入れられたりすると、苦労することが多い。プレー幅が狭く、攻守によく走るだけに、突破を封じられるとスタミナが尽きるまで勝負して、その後は完全に消えてしまうことも多々あった。また、案外気の短いところがあり、平松もビックリの交代後7分で退場した履歴あり。


▼小出 洋孝  1988.05.14生 [168cm/61kg] LH・LB 「コイサン」
  清水FC/駒越小SSS (清水駒越小) →清水Jrユース (清水第四中) →清水ユース (清水南高) →名古屋学院大
  U-14NTC・メニコン杯選出・静岡選抜 (03年) 、静岡選抜 (02年) 、静岡中東部選抜 (01年)

 88年組随一のファンタジスタ。ここぞという場面で決定的な仕事する選手であり、中2からJrユースで、交代の切り札として使われてきた。同期内では攻撃のキーパーソンで、中3夏にかけて好調を維持。しかし、秋口から調子を落とし、一つ下の杉山和の台頭を許すなど、やや悔いの残る終わり方になった。昇格直前に負傷、長いリハビリを経てようやく高2の秋から練習試合に顔を出すと、高3では何とDF (LB) として起用される。ほぼレギュラーの座を掴んでいたが、夏の大会後に引退してしまった。
 負けん気が強く、ボールの扱いが小気味よいサッカー少年。ドリブルという明確な武器があるのだが、ダイレクトタッチも多く、即興性のプレーで魅せてくれる。左足のキックは豊富なレパートリーを揃えており、クロスだけに拘らず、鮮烈なミドルでゴールを揺らすこともしばしば。恐らくリハビリ中に黙々と鍛えていたのだろう、復帰後の左足はパワーとキレに磨きが掛かっており、LBで起用されたのも浅い位置からアーリークロスでゴールに直結できるからである。
 元々即興性に溢れるがために波のあるのが難点だったが、苦しいリハビリを経て特に守備で粘りが出てきた。しかし、やはり本来は攻撃の選手であり、ポジショニングを誤ったり、相手の強引な突破に弾き飛ばされたりするなど、堅実性があるとは言えない。なお何故か、「こいさん」とさん付けで呼ばれているため、「88年組の裏番じゃないのか?」「Jrユース時の背番号が五十音順だったのも、小出が10番を着けるために画策したのではないか」などと、約1名の観客にあらぬ疑惑を掛けられている (爆) 。


▼山崎 晃太  1988.06.17生 [180cm/65kg] GK 「コウタ」
  静岡FC/南藁科SSS→清水Jrユース (静岡服織中) →清水ユース (静岡大成高)
  U-15GKキャンプ・メニコン杯選出・静岡選抜 (03年)

 88年組の正GK。一つ上の前田からJrユースのゴールマウスを譲り渡されると、その地位を渡すことはなく、チーム最長の出場時間を記録している。昇格1年目は出番がなく、2年目も控えに甘んじていたが、夏のクラブ選手権前に怪我をした前田から再びゴールマウスを受け継ぐ。この緊急事態にも安定したセービングで応え、以後は正GKとしてJユース杯優勝まで清水のゴールを守り続けた。当然、高3でも正GKとして君臨するが、結果を出せないまま夏のクラブ選手権で引退。以後、チームは吉田/柴田/長島の間で正GKが決まらず、大いに苦労したあたり、彼の存在感の大きさが伺える。

 石垣・佐野・岩本といった強力なCBに隠れがちだが、山崎も堅守のワンピースに相応しいGKである。流れの中での冷静な判断は特記するものがあり、我慢して「待つ」ことができる。特にドリブルシュートに対する反応が鋭く、分かりやすい攻撃からのゴールは許さない。キャッチング・フィスティング・ディフレクティングの使い分けも確かで、真田の経験が確実に伝授されているようだ。正確なキックは体の成長につれて飛距離を伸ばし、今や彼の武器の一つになった。
 ただ安定しているように見えて、何故かポカの多い選手であり、時間的余裕があると逆に迷いを見せてしまう。サイドからのボールに対する空間把握が狂うことがあり、ニアや頭上を抜かれることも。空間把握の面では、セットプレーでのポジショニングも今ひとつ。


▼山崎 竜男  1988.06.24生 [177cm/63kg] FW 「タツオ」
  清水FC/FC両河内 (清水西河内小) →清水Jrユース (清水両河内中) →清水ユース (静岡農業高)
  静岡選抜 (03年) 、静岡中東部選抜 (01年)

 丸刈りの髪型のおかげで、見分けがつきやすいのが嬉しいFW (笑) 。中2のナイキ杯では登録の20人から漏れたが、最終学年にポジションを確保。が、得点という結果に恵まれず、神田の台頭に伴い長沢がFWにコンバートされて、秋から出番を減らした。昇格後1年目は殆ど出番がなかったが、2年目は春先から好調で先発に名乗りを上げる。その後、長沢が頭角を現すにつれて長沢と相性の良い町田にポジションを奪われることが多くなるが、長沢・町田・山崎、同期3人のポジション争いは最後まで続いた。
 ボールへの執着心があり、勤勉なフォアチェックで貢献。前線では同期の中で最も身体的に強く、ゴール前だけでなく前後左右への幅広い動いて体を張り、ボールを体ごとゴールに運んで泥臭く突き進む。シュートに力みが見えたり、逆に躊躇を見せたりすることがあったが、最近はだいぶ足技が洗練され、決定力を改善してきた。ただ、プレー幅の狭さは問題。体格は並以上ではあるが、群を抜くほどではないので、体を張ったプレーを跳ね返すほどの相手に対し、いかに周囲との連携でチャンスメイクし、ゴールを決めるかが、彼への命題である。最終学年ではスペースへのパスと動き出しに長けた長沢・町田のコンビを意識するあまり、山崎の良さである泥臭さが失われ、そうした荒削りさが残る一年下の藤牧にポジションを奪われたきらいもあった。


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ひかる。 @H.P. [MAIL]

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