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1984年04月02日(月) 選手紹介 1984年度組

 ちなみにJrユースでの基本布陣は、こんな感じ。

さなるカップ(中1):      ナイキプレミアカップ(中2)   クラブ選手権(中3):

−−−−−餅搗−−拓也−−−−− −−−−−餅搗−−設楽−−−−− −−−−−仁科−−阿部−−−−−

−−−仁科−−浩太−−設楽−−− −−−仁科−−浩太−−拓也−−− −−−大瀧−−浩太−−拓也−−−

−−−−−−−原田−−−−−−− −−−−−−−菊地−−−−−−− −−−−−−−菊地−−−−−−−

−真輔−−渡邊−−高山−−菊地− −真輔−−渡邊−−高山−−天野− −真輔−−渡邊−−高山−−天野−

−−−−−−−加藤−−−−−−− −−−−−−−吉川−−−−−−− −−−−−−−吉川−−−−−−−

 高山は高山純一、真輔は高山真輔。阿部文一朗と大瀧義史が2年生。
 菊地直哉が清水商業、吉川慎也が清水東、高山真輔が清水南高に、加藤順大は中1の時に引っ越しし、大宮FCを経て浦和ユースに進んでいる。

 昇格後の布陣は、こちら(高3高2高1


--- 清水昇格 ---
杉山 浩太 1985.01.24生 [174cm/60kg] ボランチ・トップ下 「コウタ」
  静岡FC/中田SSS→清水Jrユース (静岡大里中)→清水ユース(静岡学園高)
  二種登録・U-19/18/17日本代表・静岡国体少年選抜(02年)U-18/17日本代表(01年)
  U-16日本代表(00年)U-15日本代表(99年)

 プレースタイルについては「杉山浩太マニアックス」も参照方。
 清水エスパルスユースが誇る王子様。02年清水エスパルスユース主将。王子様とは外見だけだけでなく、気品あるテクニックに常人では預かり知れぬ視野、カリスマとエゴイズム、終ぞ潜在能力の底を伺わせない「未完の大器」を由縁とする。
 静岡FC時代に早生まれながらU-12ナショナルトレセンに選ばれるなど(静岡県からは、他に成岡・岡田・小林・森下ら藤枝東勢に、小野正朋ら)、早くから才能を愛でられてきた天才児。エスパルスに入ってからもナイキ杯で主将を務め全国優勝を果たす。ジュニアユース当時はドリブルを好み、自分の感性先行させるサッカー少年の印象で、課題も目に付く選手だった。
 昇格後、中3の2月に行われたアルゼンチン遠征でレギュラーを掴むが、その後負傷。5ヶ月の怪我療養を要した後、奇怪な4−3−2−1システム(浩太を「3」の中央に置く)の中軸としてJユース杯準優勝、再び全国に名を馳せる。高2では深澤と攻撃的な役割が重なり、真価を発揮できずにいたが、この時に深澤を補完すべく守備を課せられたことが、後に大きな経験となる。そして、高3。主将として臨んだクラブユース選手権では、攻守両面で試合の支配者として君臨、「あの浩太が守備をっ!」という周囲の驚きをよそに優勝へと導き、その後は順当にトップ昇格を決めた。

 得点から逆算して次の選択をする独特の視点を持ち、決定機に繋がるスペースに対する敏感さは、外から見る観客すら上回る。パスミスよりも意味のない繋ぎを嫌う、強い意志も特長。厳しいチャレンジパスで周囲を自らの戦術眼に従わせて動かす、本当の意味での司令塔である。さらに、その決断は敏速。浩太の異才はこの判断力にこそあり、贔屓目に言えば中田英寿にも通じるものがある。ちなみに中田同様、浩太も学業優秀らしい。それを支える隠れた美点として、感覚調整力が挙げられる。位置や状況を正しく認知して適応させることができるほか、ボディバランスに秀で、固有のリズム感を有する。これらの長所を総じ、不安定な体勢を厭わずに、次々とダイレクトで縦パスを送り込むのが、基本スタイルである。
 一方で、サッカー少年時代からの技術は健在。密集されればターンを繚乱させて切り抜け、時にはPA内に突破することもあるし、特にユースに入ってからは、体を張った潰しでこぼれたボールを平然と奪うプレーにも融通するようになった。また、パスのボール回転や浮き球の処理、フェイントの掛け方にも独自のセンスを感じさせる。

 最大の課題は身体的に脆弱であること。それ故に力任せの潰しや執拗なマークを苦手にする。攻撃面でも力強いロングキックは稀で、30M級以下の展開が多い。使われる立場ではパフォーマンスが急落するプレー幅の狭さも、問題とされる。ただ、ユース昇格後は、戦術的な第三の動きを覚え、渋い仕事もできるようになった。また責任感と勝利への渇望が強く、キャプテンシーを発揮できる選手であるが、時に暴走して空回りするあたりは、まだまだ「王子様」である。
 早生まれ選手であり、2005年U-20世界大会の主力と目されているが、個人的には2003年も十分に狙えると思う。


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天野 数士 1984.04.08生 [177cm/69kg] 右SB・CB・右MF 「アマノ」
  清水FC/入江SSS→清水Jrユース→清水ユース(静岡学園高)、U-15日本代表(99年)

 高さ・速さに加え、確かな攻守の技術を修得した右SB。Jrユース時代は代表にも選ばれたが、昇格1年目はレギュラー右SBの高木が外れた時も、本職ではない渡邊にポジションを譲るなど苦悩の年であった。2年目も怪我もあって不完全燃焼。だが最終学年、優勝したクラブ選手権の決勝で相手攻勢に耐え、特に逆サイドからのクロスのカバーに対し渋い守備を披露して自信を掴むと、クラブにも評価されてサテライトの出場機会を掴んだ。
 強さと速さのある選手で、サイドバックの守備において均衡のとれた能力を持ち、競り合いとカバーリングの両方で、安定したパフォーマンスを呈する。だが、精神的に焦りを見せる傾向があり、スピードに乗ったドリブルに対し、安易に飛び込んで抜かれるなどミスも多い。攻撃面でも身体能力を生かした攻め上がりが得意で、浮き球のトラップは軽業師的な扱いを見せる。しかし、年代が上がるにつれフィジカル面での優位が縮まり、迷いの見えた頃もあった。アーリークロスに取り組んだようだが、武器と言えるまでには成長しなかった印象。
 卒業後は専修大学に進学予定。選手以外でのサッカーに関わる仕事にも、挑戦していきたいとのこと。


勝又 英人 1984.04.26生 [182cm/73kg] GK
  三島長伏SSS→三島中郷西中→清水ユース(静岡学園高)、U-15日本代表(99年)
 跳躍力に長けた選手だが、より長身で一つ下の山本海人の前に十分なプレー機会を得ることなく、夏を境に引退した。


渡邊 優希 1984.08.17生 [173cm/66kg] CB・リベロ・ボランチ 「ユウキ」
  清水FC→清水Jrユース→清水ユース(静岡北高)
  U-16日本代表(00年)U-15日本代表・U-17NT(99年)

 一時は代表でも常連のリベロで、菊地・浩太と共に「史上最強世代」を象徴する選手だったが、中学時代から身長が殆ど伸びなかったのが敬遠されたのか、2000年3月を最後に代表メンバー落ちしている。チーム事情もあり、高1からレギュラーCBに抜擢。高2ではボランチに回ったが、高3では再びCBに。いずれのポジションでも同期の高山と良好な関係を保ち、賢くも大胆なコーチングでエスパルスユースの守備を先導し続けた。
 知性溢れる選手で読みの鋭さは高山以上、少々の数的不利は、まるで問題にしない。大胆に高いライン統率は、美しくも凶暴。体の寄せなど守備技術でセンスが光り、身長以上に空中戦も強い。ボランチ経験を積んだことで、積極的に前に出て奪取からのフィード、突破でも魅せるようになった。一方で集中力に欠ける場面があり、前へ出ての守備が徒になることも多い。サイズだけでなく身体能力にも恵まれておらず、読み誤りが致命的なミスになりがちである。
 卒業後はサッカー専門学校(JAPANサッカーカレッジ)に進み、J入りを目指すとのこと。


高山 純一 1984.08.18生 [178cm/67kg] CB・リベロ 「ジュンイチ」
  清水FC→清水Jrユース→清水ユース(清水商業高)
  二種登録・U-19/18日本代表・静岡国体少年選抜(02年)U-18/17日本代表(01年)
  U-16日本代表(00年)

 技術・判断・体格のトータルで優れた安定感を誇る、高いレベルで完成されつつあるDF。Jrユース時代はさほど目立たない存在だったが、昇格後急変。池田の昇格・佐野の離脱・菊地の昇格拒否が襲ったチームで、ゼムノビッチ監督により1年生からレギュラーに抜擢されると、そのまま3年間、ポジションを譲ることはなかった。代表レベルでも評価され、特に00年アジア最終予選では救世主的な活躍をするが、01年世界大会では新入りの大井にポジションを奪われる屈辱も味わっている。

 最終ラインに位置しながら、積極的に中盤に飛び出してインターセプト、そのまま的確な前線フィードに繋ぐのが持ち味。だが相方の渡邊が似たプレースタイルを採るようになり、サイズに長けた高山が残ってカバーリングを担う機会が増えるようになった。高2ではリベロを経験し、戻りながらの守備が格段に向上。1対1の応対力にも優れ、地上戦では無敵の存在感を誇る。高山の正面でボールを持つのは得策ではないだろう。また、足下のテクニックはDFとは思えないほど芸術的な香りがあり、セットプレーから頭と足技の両方で、大事な試合でも得点を決めてきた。
 ただし、周囲に対する責任感、特にコーチングの意識は希薄。高さは一定水準に達しているが、跳ね返し能力に劣っており、今後は競り合いの強さを磨く必要があるだろう。
 大学は筑波大学に進学予定。4年後のJ再挑戦を目指す。


杉山 拓也 1984.11.10生 [180cm/65kg] 左右MF・FW・左右SB 「タクヤ」
  清水Jrユース→清水ユース(静岡農業高)

 長身俊足を誇る、走りの能力に長けたアスリート。それだけにクラブの期待は早くから高く、中2で既に古橋(→静岡学園)と右MFのポジションを争いながら高円宮杯初優勝に貢献したが、ブレイクには至らなかった。ユース昇格後も出番に恵まれず、得意の右MFの層が厚いこともあり、最後までポジションは固定しなかった。
 最大の武器は瞬発力と持久力を兼ねた走力で、瞬間の突破力があり、かつ長い距離を攻め上がることができる。だが、突破した後のキックの精度が低く、有効なシュートやクロスに繋がらなかったのが、苦悩の原因だろう。ポジショニングも悪く、スペースへは走力を発揮するが、足下へのパスを受ける際に工夫が足りない。同時に苦労して学ぶことも多かったようで、DF経験から適切な判断力を修得し、サイズを生かして攻守に粘りが出るようになった。卒業後は中央大学に進学予定。


仁科 克英 1985.01.17生 [174cm/70kg] FW・左右MF 「ジャロ」
  福山市引野小(広島)→清水Jrユース→清水ユース(静岡工業高)、二種登録(02年)

 「ジャロ」。広島人。中学までは母親が来てたようだが、高校は寮暮らしらしい。
 大型ストライカー阿部と稀代の司令塔浩太と一緒に、万能型の仁科は99年ナイキ杯準優勝から魅惑のトライアングルを形作った。ユース昇格後、1年目からアウトサイドMFとして抜擢、突破力と長短のシュート力が急成長した。高2のクラブ選手権ではFWとして長沼や阿部と組みながら7得点を稼ぎ、得点王。高3でも5得点を挙げ、大会通算13得点(15試合)という見事な記録を残している。

 チーム一の鈍足と言われ、身体能力は最低レベル。だが前述のトライアングルを組む中で、特に浩太の厳しい要求に応えてきた経験が、判断力を研ぎ澄まさせた。周囲と適切な距離を保った上で動き出しの早さで勝負する、オフ・ザ・ボールの質が彼の武器。高2の1年間で、実にFW・トップ下・ボランチ・左右サイドMF・左右SBを担当した事実が、その質の高さを物語る。
 時に華麗で、時に泥臭いテクニックも特長。実際は、がむしゃらに合わせたボレーや最後まで粘るドリブルが、努力の結果、鮮麗に映るまでに昇華されたという見方が正しいだろう。また浩太の独特のリズムに適応しただけに、速い展開の中でも周囲に決定的なパスを送ることができる。清水では珍しい優秀な受け手であると同時に、清水らしいビルドアップの能力にも長けた万能型FWとして、理想的なセコンダ・プンタ(セカンドFW)。
 全体的に小さくまとまっている感もあり、最大の武器が「動きの質の良さ」という分かりにくいものなため、代表や県選抜からは縁遠い選手であった。卒業後は国士舘大学に進学する予定である。


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ひかる。 @H.P. [MAIL]

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