風紋
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2004年09月21日(火) |
泣いてしまった。そして、 |
泣いてしまった。
泣きながら、なぜ泣いているのかということや、なぜ泣くのをためらうのかとか、なぜ1度涙が出てしまうと一気にぼろぼろっと涙が止まらなくなってしまうのかなどと考えてしまった。泣き終わった今も考えている。
今日は、………(しばらくの躊躇い、ゆえに少し「…」をはさむ)………、泣きたい気持ちになってその気持ちを抑え切れずに泣いたわけなのだけれど、「この場面で泣いてはいけない」「ここで泣くべきではない」「普通はこんなことでは泣かないだろうから泣いては駄目」とは思っていた。だがよく考えると「この場面で泣いてはいけない」などということは恐らくないはずで、となると「抑える」必要もないはずである。
しかし、現に私は泣いてしまったわけで、1度涙が出てしまうと、“あぁ、もう、緊張の糸が切れたからいいや…”という諦めにも似た気持ちになって、思いっきり泣いて、という一方で“早く泣き止まないといけない”とも思っていて。
最初は人前で泣き、耐え切れなくなってひとりになって、落ち着くまでティッシュで涙を拭きながら、感情の渦に翻弄されていた。
で、「なぜ泣いてはいけないと思ったのだろう」ということが気になった。現にこうやって「泣いた」ということを日記に書いているけれど、そのことにもかなりの躊躇いがあり、「あっ、泣いたって書いているけれど、大丈夫ですから。どうぞお気遣いなくご心配なさらず。はい」とフォローを入れたい気持ちがある。しかし本当に心配されたくないのかというと、どうも心配してほしいような気もするし、少しは気にして欲しいからこうやって書いているということもある。
泣いている人を見ると、「この人はどうしたのだろう。どうしようどうしよう」と思ってしまう気持ちが私にはある。そして周りの人を見ると、そのような気持ちを持っている人が多いようだ(程度の差はあるものの)。
「私はそう思われたくないし、そう思われてはいけない」という気持ちを持つことが、私には時々ある。つまり「放っておいてほしい。ひとりにしておいてほしい」という気持ち。しかし、泣いてしまうと「この人はどうしたのだろう。どうしよう」と、その場に居る人を戸惑わせてしまうことになる。だから、泣きたくないし、泣いてはいけない。
でも一方で、思いっきり泣きたい気持ちもある。1度涙がこぼれてしまうと、緊張の糸が切れた感じがして、「どうせだから、もう全部解放してやろう」とも思う。
もちろん、いろいろな場面で泣くことはあるだろうし、泣く原因もさまざまであろう。人前で泣くか、一人で泣くかということの違いもあるだろう。
最近の私は「人前で泣くのは嫌だ。ひとりにしておいてほしいから。でも一人で泣くのも嫌だ。寂しいから。そして私は泣いてはいけないと思っているのに、どうも泣くことが多い」という状態だ。…かなり矛盾している。ひとりにしておいて欲しいのに、ひとりで泣くのは寂しいから嫌だなんて。人前で泣いてしまった記憶の方が強く残るのでその方をよく憶えているのだけれど、よく考えてみると一人で泣いていることも割と多い。
…まとまりがつかなくなってきたけれど、せめて泣きたい時くらい素直に泣こうと思う。そして、「その場にふさわしくないだろう考えや気持ち」(例えば、泣いてはいけないだろう場面で泣きたい気持ち)を持ってしまったとしても、そう思う私自身を責めずに、私はそのように思っているんだということを、せめて大切にしようと思う(それを他者に向けて表明するかどうかは別の問題かもしれない)。
…ひとまず、泣きすぎて頭が痛くなってきて、おまけに耳鳴りまでしてきたので(なんということ)、続きは少しずつ書いたり書かなかったりします。
…泣いたり、笑ったりしながら、おおむね、元気に過ごしてはいます(近況報告)。
○
BGM:「テレプシコーレ」(Terpsichore)(Praetorius/Margolis)よりIV(Gaillarde - Reprinses - Gaillarde - Volte)
ドイツ初期バロック時代に活躍した音楽家、プレトリウス(Praetorius)によって編纂された同名の舞曲集を、現代の吹奏楽によって最大限に生かすようにオーケストレーションされたもの。…の、4楽章。
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