風紋
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| 2004年08月19日(木) |
パソコン復旧、とともに疲労、とともに考えたこと |
ここ数日、調子がよかったので、できることをしておこうとばたばたと仕事に取り掛かっていたのだが(進捗状況がどうであったかは…問わないとして)、そうこうしているうちにパソコンの調子が悪くなった。で、余計にあたふたばたばたとしていた。パソコンが使えないと仕事のうちの大半ができないということもあって、気分的にも落ち着かず、いわゆる「テンパった」状態になっていたかもしれない。
ようやく、通常通りに作業できる環境が昨夜整った(現在はほぼ通常通り支障なく使えるようになっている)。
でも、やはりやや気が張り詰めて無理をして疲労したのだろうか(昨夜は肩凝りがするまでパソコンと向き合っていたから…)。今日になって疲労がどっと出てしまった。ゆえに今日はほぼ1日横になっていた。
私が私に対して思った私なりの教訓:一気に頑張るのは、時々良くないことになる(後で疲労がくる)。
それにしても、パソコンの調子が悪くなってから通常通りに作業できるまでの間は、気持ちが落ち着かなくて、…うまく言葉にならないのだけれど、「不安」ではあるのだけれど、「不安」という言葉には集約できない気持ちをずっと持ち続けていた。仕事が進まないという不安に加えて、メールやWebのチェックが自由にできないという不安があったのだと思う。
人と人とが出会い、お互いが歩み寄っていくための方法はいろいろある。直接会ってともに時間を過ごす。それがままならない場合は電話を用いたり、手紙を書いたり、メールやWebを用いたりする。このうち、Webというつながりが、しばらくの間、絶たれたことによって、私は不安に陥ってしまったのかもしれない。
ずっと以前に、この場所に、私は「“ひとりで大丈夫よっ。大丈夫なんだからっ”と言いながらひとりで突っ走っていって、怪我をして、結局周りの人の助けを借りている状態(あくまで比喩)」に陥ることが多いと書いたことがある。「ひとりで大丈夫」と言えるくらいにしっかりしなければならないと思いながらも、一方で多くの人に支えられて助けられているのだ。
すごいタイミングだが、この間に、私にとって大切な人から手紙をいただいた。文字通り「手紙」だ。切手を貼られて郵便で送られてくる手紙だ。嬉しかった。手紙を書くことももらうことも少なくなってしまったが、手紙には手紙のあたたかさがあると思った。
それぞれの方法を通じて、いろいろな人といろいろな交流を深めることができればいいなと思う。一方で、私は他の誰でもない私の人生を私自身で生きるのだという気持ちも持ち続けていたいと思う。
○ BGM:吹奏楽のための音詩「輝きの海へ」(八木澤教司作曲) 詳しい情報は、後日「はてなダイアリー」にでも書こうかなと思う。一言で現すと「聴くだけで海に行ける。海の様々な表情を感じることができる」曲だと思う。
そういえば、「海を見る」というのは今夏の目標のひとつだったはずだが、未だ実現していない。私は海が好きです。
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